今の銀時には、他人に知られたくない秘密がある。
例えばその内容が、過去のことだったり昔の知り合いのことだったりするならば、銀時はそれらを隠し事として秘密にしようとは思わなかっただろう。公然と言い明かすことではないが、墓まで持っていかなければならない秘め事だとも思っていない。なんといってもあの時代、良い意味でも悪い意味でも、彼は有名人だった。知っている人は知っているし、調べれてば簡単にその頃の情報は手に入る。そして今は昔の知り合いと深い繋がりも有していないから、すべて聞かれれば答えることの出来る範囲内の秘め事しか持っていない。彼そのものに秘密はなかった。
けれど、こればかりは人に知られたくないと思っていた。そして秘密にしていることを知られてはならなかった。面倒なことになってしまったと、思わざるを得ない。溜息のひとつやふたつでは足りないぐらいだ。秘密を持つのは得意でも、秘密にしなければならない事を作るのは好きではないのだから、当然だ。罪悪感云々といった問題ではない。しつこいようだが、銀時は秘密を持つのは得意なのだ。秘め事を彼が自ら言わなければいいだけなのだから。
ただ銀時が現在進行形で抱えている秘密は、言ってはいけない秘密なのではない。秘密にしておきたいことなのだ。心配性なめがねの少年はもとより、特に、同じ家に住む少女には。
おまえのアニキとたま〜に会ってるよ、だなんて。さすがの銀時も、言うことはできなかった。
溜息をついて、ちらりと視線を横に流す。銀時に視線に合わせてこちらを覗きこんできた青い瞳がにこりと笑い、赤銅色の髪が揺れた。
「食べないの、お侍さん。せっかく奢ってあげるって言ってるのに」
銀時は沈黙を返す。少年はそれを意に介した風も無く、再び視線を手元に落とす。3本の串団子が握られている。どんな仕組みになっているのかその3本が一緒にするりと咥内に吸い込まれて、出てきた時にはきれいに団子が消えている。ぽいと投げられる皿と3本の竹串。その脇を店の奥と少年の座椅子とを往復するおなごが慌しく通り過ぎる。山と抱えたお椀を持ったおなごの入っていった奥から唸るような声が聞こえたのは気のせいではあるまい。
無理もない。銀時は視線を自分の手元に落とし、次いで隣を見る。
そこには、お椀と、団子の消えた串の山。銀時が頼んだのは今手元にある一皿のみで、彼の周りにぐるりと山積みとなっているものはすべて、後ろの少年が食したものだ。胃拡張娘の兄は胃拡張息子であった。
店内にはもはや彼ら以外に客はいない。あくまで客は。見物人ならそこらにいる。皆、少年の食欲に気圧され、己が甘味を食すことも忘れて少年を凝視している。口をあんぐりと開けたままの者もいれば、青い顔をして口元を抑える者もいる。
銀時は溜息をついた。もはや一皿の団子を食べる気にもならない。
「食べないのかい」
「……ああ」
「では頂いてもいいかな。残すのは勿体無い」
「…………どうぞ」
「ありがとう」
差し出された一本の串団子を、少年は笑顔で受け取った。とは言ってもこの少年、始終笑顔である。
さて、どうしたものか。
銀時は頬杖をついて外を眺めた。
息抜きに立ち寄った甘味処で、銀時は「第二の夜王」に捕獲された。ドウモコンニチハ、イッショにオチャでもドウカナ?といった具合に。もちろん、銀時に拒否権はなかった。
その年若い夜王の名は神威。神楽の兄だ。
銀時を背中合わせの席に座らせた神威は次々と甘味を注文し、次々と平らげた。その食べる勢いは神楽と全く変わらない。一皿目の1本目を食べたあたりで銀時はうんざりしてしまっていた。そうして残った1本は神威の手に渡った。
その1本を、神威はゆっくりと食べた。団子の一粒一粒を串から噛み千切って食べている。店の奥から店主らしき小柄な男が出てきて、もう出すものがないと詫びた。神威は「それは残念」と頷いて勘定をした。もちろんそれには銀時の頼んだ一皿分の代金も含まれている。見掛けによらずというか性格によらずというかこの少年、実はそれなりの金持ちであり礼儀正しくまた律儀な男であることは、何度かの「お茶」を共にする間に知っていた。そう、何度か、の。
こんなところを新八か神楽に見られたらどうしよう、と思う。新八は腰を抜かすだろう。神楽はキレるだろう。そして2人とも……どうするのだろう。少なくとも、新八も神楽も、そして銀時ですら、この少年に勝てるほどの力量は持っていないのは明らかだ。神楽は出逢ったその場で叩きのめされたし、新八なんて以ての外。銀時はまだ直接戦っていないけれど、神楽より強くて海坊主と同等レベルの夜兎族とまともに戦って、腕の1本や2本で勝利を勝ち得るとは思えない。
あぁでも、それでも神楽は神威に戦いを挑むかもしれない。傍から見れば今の2人は茶屋でのんびりお茶をしている仲だが、神威を知る人間が見たならそうも見えないだろうから。
やはりこの少年、面倒だ。銀時は幾度目か知れない溜息をついた。
最後の一粒が少年の口の中に消え、それが喉元を通っていくのを待っていた。この少年、口の中に物がある時は喋らないのだ。そのあたりがお上品である。妹とは大違いだ。
団子を飲み込み、新たに注がれた茶をずずっと啜る。銀時もそれに倣って冷めた日本茶を口に含んだ。
「そろそろサクラとやらが咲く時期なんだってね」
「見たことないのか」
「この地球へは、そう頻繁に来てたわけじゃないからね。女たちの着物に描かれているものでしか知らない」
「そうかい。なら、今年はちゃんとお天道様の下で見ておくといい。なかなかのもんだぜ、桜は」
「見ないよ。興味ない」
「……あっそう」
「でも、サクラの下には死体が埋まっているというのは、なんだか面白いね。サクラの木の下は死体だらけということだろう?一体誰がそんなに沢山の人間を殺したんだろう。気になるなあ」
「埋まってねーし。信じんなよ、そんな話」
「都市伝説とやらみたいなものということ?ならば俺が事実にしてやってもいいよ」
「誰もそんなことは望んでねーから」
この少年との会話が最終的に行き着くところはたいていの場合が同じようなものなので、今さら思うところは何もない。それでも少し疲れた気分で湯のみの底を見つめた。あ、茶柱、という声が少年から上がった。なんとも無感動な声だった。
桜のある風景。そこに一人の少年が佇む姿を脳裏に思い描いてみた。絵にならないこともない。居候の少女にも言えることだが、彼ら夜兎特有の白い色合いは、桜の儚さを邪魔することはないだろう。
悪くない。二度目にそう思ったところで、思わず苦笑する。桜並木に佇む少年。その周りには何があるのかを想像したら、なんとも言えない気持ちになったからだ。無論、花見をする人々などといった楽しげなものではない。思わず「見るんじゃなかった」と思いたくなるような地獄絵が広がっていることだろう。
つまらない想像をしてしまったことを悔いるように、冷め切った茶をぐいっと一息に飲み干して立ち上がった。
「もう行くのかい」
すかさず掛かる声に、そうさなぁ、となんともやる気の無い声が出る。少年の旋毛が銀時の位置からはよく見えた。
引き止められたような気持ちになったのは最初だけだった。今では神威が自分を引きとめようなどと微塵も考えていないことを、よく知っている。どうせ今日もまた少年は確認しに来ただけのことなのだ。そうしているうちは、少年にとって自分はいつでも殺せる相手でしかないということだ。銀時も否定しない。今この瞬間の銀時は、神威に刀を向ける理由を持っていないのだから。
神威と戦う理由を銀時は持たない。だから神威の求める強さを銀時は少年の前に示せない。神威が何度銀時のもとへ訪れようと、神威の前では銀時は刀を持たない。そのことにこの少年はいつ気づくのだろう。秘密が誰かに露見して、誰かが神威に牙を向けた時だろうか。
ならばいつまでも秘密であればいいと、胸の内で囁かれる声を無視して、銀時は一歩を踏み出した。
「今日はまだ殺されないで済みそうなんで、さっさと立ち去ろうと思うわけですよ」
「そうかい。それは残念だ」
残念とも思っていない笑顔で神威は頷いた。
椅子に立てかけておいた木刀を手に取って腰に帯びる。ごっそーさんと言って手を振った。
神威はその後姿をじっと見つめ、銀時が振り返らずに去っていくのを見止めると、満足そうに微笑んだ。