銀。
桂が声をかけても銀時は振り向かなかった。屋敷から離れた林のなか、裸足のまま地面にぺたりと座り込んで、ただじっと俯いている。
朝から姿が見えない銀時を心配して彼を探した桂が最初に銀時を見つけたのは、まだ陽も中天に上る前のことだ。そろそろ陽が暮れようとしているというのに、あれからずっとここにいたというのだろうか。桂はわざと足音を立てて、けれどゆっくり銀時に近づいていった。
銀時と桂と、ここにはいない高杉は、自分たちが生まれた正確な日付を知らない。正確な年齢は分からないから似た体格の子供と比べて歳を決められて、先生が誕生日というものをくれた。それで計算するなら、今、銀時は13歳で、桂も13歳だ。けれど銀時の体は桂よりずっと細く儚い。小さかったから(今でも一番ちっちゃいが)2人より一つ年下にされた高杉の方がまだ男の子としてしっかり育っていそうだ。
食の細さはもとからだったが、最近は更に食べなくなってきたのは気のせいだろうか。斜陽に照らされた背中はあまりにも小さく見えて、桂は少しだけ不安になる。銀時はその見た目が真っ白だから、ただでさえ病的に見えるのだ。もしかすると銀時は病気を持っているのではないだろうか、死んでしまったりしないだろうか…子供である桂は「変化」というものは知らないが、「死」というものは知っていた。それが自分たちにもいずれ訪れることも知っている。だから銀時に訪れつつある「変化」に、桂はそれと気付かず脅えを感じていた。
いくら賢く敏い子供だと言われようと、桂もまた13の子供でしかないのだ。桂の中の脅えは恐怖や恐れではなく不安となって表れた。
銀時。
もう一度、肩を掴んで名前を呼んだ。
銀時は桂を仰ぎ見る。ぼんやりとした目はいつものこと。けれど確かに違う何かを桂は敏感に感じ取った。
「……ヅラ………」
「桂だ」
何度目か分からない訂正をして、桂は銀時の横に座り込む。ちらりと見れば銀時の手は泥だらけで指先には小さな傷がいくつもできている。
少しだけ盛り上がった地面の上に、小さな白い石が乗っけられている。
「――埋めたのか」
うん、と銀時はうなずく。土で汚れた掌がぎゅっと握り締められた。
小さな墓の下には、冷たく硬くなった雀の骸が埋められている。
カラスにでも襲われたのか屋敷の庭先に落ちていた雀を、銀時が拾ってきたのだ。それを桂が手当てして、怪我が治るまでと面倒を見ようとしていた。
どうせ再び飛び立つのだからと檻は作らずに、部屋の中に放し飼いにしていた。高杉と桂と銀時の3人は同じ部屋で過ごしていたから、最初の数日は部屋の中に2人で閉じこもって、動けない雀を離れたところから眺めていた。近寄ると必死になって逃げようとするので、可哀相だからだ。
3日もすれば雀も動けるようになって、部屋の中をちょろちょろしていた。銀時たちのことを警戒していたけれど、餌をくれるのが銀時たちだと分かってくれて、少しなら近づいても逃げないでいてくれるようになったのだ。
それなのに。
桂は唇を噛み締める。脳裏を掠めたのは同じ部屋で過ごすもう一人の子供の顔だ。
桂は高杉のことを嫌っているわけじゃない。一緒に育った家族で、とても大切な友達だ。けれど高杉は時々、桂を不安にさせる。蝶々の羽をむしりとったり、死んだ猫の骸を包丁で刺したり……幼い桂はそんな高杉を見ていることが怖い。
――だって、高杉は。
桂はもう一度銀時の横顔を盗み見る。銀時はよく笑う子供だ。その銀時の、哀しみに彩られた目を見ていられなくて、それを誤魔化すように銀時の髪に触れる。ふわふわと柔らかい。まるで銀時の性格そのものではないか。
銀時はよく笑う子供だ。桂は銀時の笑顔が好きだ。
けれどその笑顔が時々消えることがある。その多くの場合は先生が困っているときであったり――高杉が銀時を哀しませているとき。
――高杉は、銀を傷つける。
雀の怪我は治ってきていた。桂は雀が少しの距離ではあったけれど飛ぶところを見ている。あれは治る傷だったはず……それが再び。以前より酷い傷になって開いてしまうなんて。
桂は、雀に夢中になっていた銀時を見ていた高杉の顔を思い出す。彼は、微笑ってはいなかったか。
高杉は銀時に比べれば、いつも無表情な子供だ。桂もそうかもしれないが、高杉のはまた違う。彼は笑うべきことを知らないように感じられた。
その彼が笑っていたのに。高杉が銀時を傷つけることを知っていたのに。何も気付かなかったことを桂は悔やんだ。


「桂」
銀時が桂を呼ぶ。髪を触れる指先を好きにさせたままでいれば、銀時が桂の胸に飛び込んできた。ちょっとした衝撃に体が後ろに倒れこみそうになる。それをなんとか堪えると、銀時が「桂」と名前を呼ぶ。なんだ、と返事をして、けれど銀時の声は返ってこない。
銀時の髪に触れていた手の置き場所に困って、桂はその腕をそのまま銀時の背中に回した。そのままぎゅっと抱きしめる。
その後二人の間には暫らくの沈黙。
銀時の肩の向こう、菫色に染まった空から闇が降りてくるのを、桂はただじっと眺めていた。


ねえ、桂。銀時が小さな声で呼ぶ。
「高杉は、関係ないよ」
先ほどの桂の心の中を見透かされたようで、ドキリとした。腕の力を少しだけ解いて銀時を見下げる。
「本当だな?高杉が殺したのではないのだな?」
「違うよ。高杉じゃない」
「本当だな」
桂は銀時のことが大切だ。もちろん、高杉のことも。だから高杉が銀時のことを哀しませるなら、桂は高杉のことを許せない。
二人は大切な友達で家族なのだから。
そんな桂の心中を知らないまま、銀時は彼の首筋、埋めていた顔をようやっと上げてきた。
ふわりと、微笑う。
「だってあいつ、一緒に墓を掘ってくれた」
え、と桂は腕の中の銀時を見た。銀時は殊更笑みを深くする。
「この墓、高杉も一緒に作ったんだよ。だから、あいつを責めないで」
そして銀時は、高杉は関係ないよ、と繰り返す。
雀を殺してないよ、とは言わない。
まるで、高杉は殺していないのだと、自分に言い聞かせているように聞こえて。桂は胸のうちがちくちくと痛んだが、そうか、と頷いた。
「……そろそろ帰ろう」
銀時の体を放して、桂は立ち上がる。ほら、と腕を伸ばせば銀時がそれに掴まって立ち上がろうとする。ずっと座っていたためか足元がふらついた。大丈夫かと聞くと、へーきへーき、と笑った。
銀時の腕をひいて、桂は屋敷への道を歩き出した。空は既に暗く、小さな星が点々と光っている。


「桂」
屋敷の屋根が見えた頃、銀時がくいっと桂の腕を引いた。握った手を放さずにして桂は銀時を振り返る。
銀時は笑ってはいなかったが、悲しい目をしているわけでもなかった。
ねえ、と呟くように呼びかけてくる銀時は、桂の顔を覗き込むようにして距離を縮めてくる。
「おまえ、どうしてそんな顔をするの」
「……どんな顔?」
「痛そうな顔」
すぐに返った言葉に、桂は苦笑する。
そういった表情は子供のするものではないけれど、それが不自然にならない程度には桂や銀時は成長してしまっていた。彼等はもちろん、気付いていないけれど。
「そういう銀だって、痛そうな顔をしているじゃないか」
人のことを言えないだろと桂は再び前を向く。後ろで銀時が納得いかないというように眉を寄せた。
「俺が痛そうなのは、ヅラがそんなだからだ」
小さく、銀時が呟いた。
止めてしまいそうな足を動かして、桂は屋敷へ帰る道を進む。
「あの子が死んでしまったのは悲しいけど……だけど俺、おまえがつらそうな顔をする方が、もっと嫌だよ」
だからそんな顔はするな。



つい、泣き笑いになった。