どうしてだ、と銀時は問うた。けれど男は黙して何も語らず、気だるげな仕草で着物を脱いでいく。本当に怪我をしているのか疑いたくなるくらい、いつもと変わらない仏頂面で。
嫌なやつ。銀時は水を持ってきてくれた仲間にお礼を言いながらも、胸中では唾を吐き捨てたい気持ちでいっぱいだった。
「背中、見せろよ」
出て行こうとした仲間が驚いて足を止めてしまうくらい、銀時の声は低く、不機嫌だった。けどその仲間以上に、銀時自身がその声にびっくりしていた。え、なに、俺。どうしてこんなに怒ってんの?
少しばかり戸惑い首を傾げた銀時をちらりと見やり、高杉は大人しく銀時に傷を見せた。それもまた銀時にとっては意外だ。手当てはいらねえと、さっさと断ると思ったのに。
高杉の背中には、肩甲骨の辺りから腰まで、浅くとも長い傷がある。つい先ほどまでの戦で受けたものだ。
傷を見ることには慣れたが、気持ちはついていかない。傷に伸ばした手が、肌に触れる直前にびくりと震える。
ふんと、高杉が笑った気配。
「早くしろよ」
「……うるせえな」

礼なんか。誰が、言うか。



銀時は高杉のことが苦手だ。いつからなのかは覚えていない。
もしかすると、物心付いた頃には既に苦手意識を持っていたのかもしれない。他の子供とは遊んでも、高杉と遊んだ覚えはない。桂とは手を繋いだり抱っこしてもらった覚えがしっかりあるのに、高杉とは手を繋いだことも抱きついた覚えもない。
だけどなんとなく、高杉と、笑いあった記憶があるような気もしないではなかった。
子供だったから、今よりずっと純粋に笑えたのだろう。苦手な相手でも、面白いことがあれば笑えたのだろう。子供はとても単純だから。大人から見れば「なんで?」ということであっても、子供は笑った。
とはいっても、理解し難いという点では、今と何も変わらない。銀時には高杉がどんな男なのか、さっぱり分からなかった。
彼は時として銀時を怯えさせた。彼は事あるごとに、銀時に「死ぬな」と言う。何故?と問うても答えはない。高杉は只管銀時に「死ぬな」と繰り返すのだ。
やめてくれ、と。その言葉を聞くたびに絶叫したかった。死ぬつもりなんかない。まだ死にたくない。その思いは銀時の中にだってちゃんとある。
だけど、「死んではいけない」と、それを強要されるのは、とてつもなく苦痛で、悲しい。
――だから俺は、こいつのこと、嫌いだ。
おまけに、餓えで死にそうな獣と同じ、命を狩ろうとしているような、そんな雰囲気を、銀時が好きになれるはずもなく。
些細な言い争いの途中に「てめえなんか、さっさとくたばっちまえ」と八割方本気で言ってしまうくらいには、銀時は高杉のことが苦手で、彼の存在を疎んだ。
だけど自分の目の前で、彼が血を流しを見たとき。
今まさに、自分に振りかざされようとしていた白刃から身を挺して庇ってくれたのだと気づいたとき、銀時はその刀を「死なないため」に振るっていた。
そして刀を降ろしたとき、銀時は不意に思った。
―――俺は、こいつの前でだけは、絶対、死んではいけない。
自分を庇い、傷を負い。それでも無傷な銀時を見てどこか安堵したように口の端に笑みを浮かべた高杉の顔が、忘れられなかった。



「どうして、俺を庇ったんだ?」
高杉の背に水で濡らした布を当てて、銀時は尋ねた。
銀時はこの男が嫌いで、同じように高杉も銀時のことを嫌っているはずだと思ったからだ。
「てめえを庇うつもりなんか、これっぽっちもなかったよ」
呻くように高杉は呟いた。怪我を負ったこともそれを銀時に手当てさせていることも不快でならないというように。
「なら、なんで」
高杉の顔が見えなくて良かったと思う。気づかれないように。けれど優しく、傷の周りにこびりついた血を拭っていく。こいつのことは嫌いだと思っても、礼なんか言うかと思っても、自分を庇ってくれたという事実は、どうしても人を優しくする。
「誰が何処でくたばろうが、俺の知ったことじゃねえ。死ぬのはてめえの勝手だ。責任はそいつにある。何より、俺たちは侍だ。時によっては死ぬことを躊躇うはずもねえ」
それは普段であればそうだなと肯いて、だけど高杉だから「冷てえやつ」と思ってしまうような言葉なのに、この傷を負ったのは自分の責任で自分の勝手がしたことだと、そう言っているように聞こえてしまった。
銀時は包帯を巻こうとして、ここには何もないことに泣きそうになる。戦時中は物資が足りないのだ。場所が良ければ薬が手に入るが、ここには本当に何も無かった。
手当てにもならない手当てが終わったことに気づいて、高杉が立ち上がる。それに思わず、というように自分の手が伸ばされて、それは高杉の腕に触れた。
光のない片目が、こちらを見る。
「でも、侍だからこそ必要なものがある。守ろうとしているものが消えようとしている今、侍には、これがあればいい........と思えるものがあり続けなきゃならねえ」
銀時が高杉の声をこれだけ長く聞くのは珍しかった。彼を見上げながら、こいつはこんなに悲しい瞳をしていただろうかと、途方に暮れた。
「銀時」
「………もう、いいよ」
その先にある言葉は、聞きたくなかった。
「てめえは、死ぬな」
「――分ぁってるよ!」
耳を塞いでしまいたい。できることなら目も潰れてしまえばいいのに。そうすればこの男の顔を見なくてすむのに。
手もいらない。こんな腕が欲しかったわけじゃない。声なんか持たずに生まれてしまえばよかった。叫べないのなら、いっそ。
死ぬな死ぬな死ぬな死ぬな。何度繰り返せばいい。何度聞けばいい。
この戦争が終わるまで?天人がいなくなるまで?
―――ふざけんな。
「俺は、桂や坂本が死にそうでも、てめえだけは助けてやる。てめえだけは死なせねえ」
高杉の指先が、目元に触れる。その拍子に生暖かいものが頬を伝い、己が泣いていることを知った。
「白夜叉だけは、死なすわけにはいかねえから」
てめえなんか、大っ嫌いだ。そう言うと、高杉は満足そうに笑う。それでいい。俺を嫌って嫌って、憎めばいい。二度と憎しみを忘れられないくらい、殺したくても殺せないくらい、俺を憎め。生きることに貪欲になれ。
人であることを、捨てろ。

「てめえだけは、死ぬなよ。銀時白夜叉