しまった、と思ったときには遅かった。
気づいたのは、男の瞳の中に在る己を見止めた瞬間。そこで退けば良かったのに、いつだって自分は引き際を見誤るのだ。
触れられた箇所が熱を持ち痺れが爪先から脳天へとかけあがり、全身が総毛だった。予感と不安と、そして期待に戦慄する。思わず固く目を閉じ、硬直したように強張ってしまった自分を、真っ白に霞んでいく頭の片隅で嗤った。
まずいな。自分より幾らか年下の、しかも男相手に――。
本気になるわけにはいかねえのに。しかしそれはもはや思考の中でさえ、きちんとした言葉にはならない。若さの勢いにほだされたのだと己を言いくるめるには身体が返す反応が鋭すぎ、気づかぬように目をそむけ続けてきた自分の本当を、見ずにすませることは、もうできなかった。
土方の熱い息が首筋を覆う。存外に細い指をした大きな手が、服の内へと這い降りていく。肩といわず胸といわず、その手が触れるたびに、おぞ気にも似たものが身体をかけ巡り、脳を痺れさせる。
と、不規則に肌を上下していた指が、予測もつかない唐突さで胸の尖りを掠めていった。
「あっ……」
思わず声がこぼれた。自分のものとは信じられない高く掠れた声音に頬が熱くなり、もう洩らすまいと口元にやった拳は、だがあっけなく取り上げられた。
「今更だろ。声、抑えんじゃねえよ」
戦の間に男と寝た記憶はあるが、今回は話が違う。抑えるなと言われても羞恥心はどうにも除けず、再度上がりかけた声は奥歯をかみ締めて堪えた。
言葉で言う余裕もなくただ必死にかぶりをふる間にも、土方の手は容赦なく煽り続ける。自分とは違って余裕の無さなど微塵も感じさせない男に半ば本気で腹立ちを覚え、険をこめた目で睨めつけてみるのだが、まったくこたえないらしい。どころか、ますます勢いづいて手を動かす。
「ちょっ、土方、ま……」
が、待ってくれ、などと言えるわけがない。
「なんだ」
「せめて、灯り……」
「往生際の悪い」
苦笑しつつ、しかし素直に蝋燭を吹き消した。だが、灯火が消えてみれば、煌々と照るほどの星明かりで部屋は却って白々と明るい。
「ああ。お前えにはこっちのが似合ってんな」
猛々しい笑みについ見惚れてしまった銀時に、もはや抗うすべはない。もうどーにでもなれ、と半ばやけに呟く。
うっとりと目を閉じ、押し寄せる欲望の荒波に身を委ねた。
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銀時は思う。
時間は暴力だ。どんな強い想いも、深い悲しみも、そのままではありえない。自分は、もはや倦んでいた。時代の歪みを正す試みにも、過去を悔悟することにも。心は涸れ、乾いていた。色褪せないのは、絶望と呪いだけ。
そんなとき、土方に出逢った。なんでもない時、他愛ないことで口論するたびに、一生敵わない、と思った。
鋼のような烈しさと、雄々しく堂々とした生き方。自分が決して手に入れえぬもの。闘いには勝った。が、この男には、敵わない。誰に悟られはしなくとも、その敗北感はいっそすがすがしいほどに圧倒的で、今思えばきっとあの時から、この男に縛されてしまっていたに違いない。
いつになく気だるい目覚めに違和感を覚えつつ目を開けた。
見慣れない天井。朝日にけむる埃っぽい空気。硬い床の感触。そして何よりも、自分の横にある、布団とは似ても似つかぬ熱量をもった物体。
状況を掴みそこねたのも束の間、瞬時に頭の霧は晴れわたり、昨夜の痴態がまざまざと脳裡によみがえる。己の身体にはそこかしこに情事の痕跡、相手の身体には自分がつけたと思しき爪痕。目のやり場に困りながらももぞもぞと身を起こし、その刺激で下肢を走った疼痛に絶句して狼狽えた。既に何度目か分からない溜息を零して、けれど全く悔やんでなどいない己に更に狼狽える。
いっそのこと、何も無かったことにしてしまおうか。そんな思いもちらりと脳裏をよぎるが、自分の体に回された腕から逃れるのはなかなか難しい。
どうにかして相手を起さずこの場を去ることはできないだろうか。そう思っているところに土方の腕の位置がずるりと降りて、腰の辺りに触れた。思わず震えた身体の疼きに、口からなんとも言えない呻き声が零れる。
顔を真っ赤にしてじたばたともがく姿に、いつから目覚めていたのか、狸寝入りを堪えきれなくなった土方がくつくつと笑い出した。
「いつもの余裕はどうしたよ」
「うるせえな馬鹿野郎。起きたなら起きたと言いやがれ」 開き直った膨れっ面で返せば、「お前ぇのそんな可愛い顔、めったに見られるもんじゃねぇからな」 と、減らず口。嫌なやつ。
「あーまじ腰痛ぇよちくしょーが。帰る」
と、今度こそ身を起こしたところへ、長い四肢を投げ出してどさりと覆いかぶさってきたからたまらない。
「おいおい、こんな朝っぱらからナニする気? 言っておきますけどね、生ぬるい馴れ合いはごめんだよ」
眉を逆立てて睨みつけたが、裸同然の姿で組み敷かれた体勢では、何を言ってもただの睦言にしかならない。
「上等だぜ? 俺も生ぬるいのは好かねえからな」
頭上から低い声で囁き、獰猛に笑う。一気に密度を増した男の気配に、藪の蛇を起こしたと気づいたときには、もう後のまつり。肩越しに見る窓の向こうに晴れやかな朝の水色がのぞいていた。