「悪いがナンパはお断りぜよ青少年」
目の前には生徒会長坂本辰馬の顔。
「………どうも、コンニチハ」
「おんしが『土方トウジロウ』クンじゃな?高杉から話は聞いちょるよ」
「え、」
あの人、実はいい人なんだろうか。土方は高杉をちょっと見直そうとしたが、
「女のナンパ方法を教えてほしいんじゃな?」
「違います」
やっぱあの人嫌いだ。
土方は胸の内で再度確認した。
生徒会室は土方が思い描いていたような雑然とした部屋ではなく、仕事あるのだろうかと疑問が浮かんでしまうくらい綺麗に整頓されたものだった。だけど部屋に入った坂本が開けた棚の中にはびっしりとファイルが詰め込まれていて、その中から幾つかを取って壁際の長机に置いていく様は土方が想像する“仕事のできる男”といったイメージに近く、これがウチの高校の生徒会長なのかと、不思議な感慨が湧いた。歳のわりに落ち着いた物腰や口調をしているからかもしれない。ファイルを開きPCの電源を入れる姿がなんとなく仕事から帰ってきたサラリーマンの姿を彷彿とさせた。
いったん土方を置いて出て行ったかと思うと1分ほどで戻ってきて、他の役員はまだ来ないから気楽にするがええ、と言いながら差し出されたのは缶コーヒーのホット。今ポットが壊れてるからお茶を淹れられないんじゃすまんのーと謝られ、わざわざ買いに行ってくれたその気遣いが居心地悪かった。ありがとうございますと受け取りはしたが開ける気は起こらず、手の中でころころと転がす。
「それで土方くんは、ワシに何の用じゃ」
「用っていうか、」
「言っておくが銀のことなら、ワシゃなーんも言わんぜよ」
土方は強く眼を瞑った。“銀”とは誰のことかなど悩む必要もなく、目の前でにこにこと笑う男が急に得体の知れない人間に感じられた。坂本の声は朗らかだったが、発した言葉は絶対的な力が籠められていて、笑っているからこそ、その表情とはアンバランスな言葉に戸惑う。手の中で圧力を加えられた缶がメコリと音を立てた。
決して気の長いほうではないが、怒りっぽいわけでもない。部活は剣道で、礼儀の重さは十分身に染みている。克己心も、それなりに備わっているとは思う……少なくとも、今までは。
「…………知ってたんですね」
「ナンパはお断りだと、最初にゆうたろう。おんしが何を思って銀と仲良くなりたいと願っちゅうのかは知らんが、少なくともワシは君のような人間ばあはあの子に近づけさせるわけにゃいかん」
どうしてだと問おうとした口は、坂本の鋭利な視線のために閉ざされた。
「なんちゃーじゃ知らん君にゃ理不尽ろうが、銀時にゃ近づくな。あの子のことを大切に思ったがなら、尚更」
話は終わりだというように坂本は背を向けた。
こんなことって有りか?土方はその後姿を呆然と見やる。土方はまだ何も言っていないし、何も聞いてもいない。にもかかわらず坂本は土方の望みを既に知っていて、そして牽制した。
確かに理不尽ではある。理由もないのに、彼女のためを思うなら近づくなというそれは、長い間夢見てきた望み全てが絶たれることに同じ。だが、それより先に、もっと大きな問題が立ち塞がっていた。
もしかして、と思う。土方は生唾を飲み込んだ。
「 あんたも、何かを視ているんですか?」
それならば彼が己を坂田銀時から遠ざけようとする理由も分からなくないと思ったのだが、返された言葉は肯定ではなかった。
坂本は土方のほうを振り返ることもなく、へぇ、と興味なさげに頷く。
「見てはいけない何かが視えちゅう人間みたいな言い方じゃなあ」
言葉に詰まったのは土方だけだった。そういうわけじゃぁ…もごもごと煮え切らない態度で俯く。坂本は土方の動揺など気にも留めず、そろそろ役員が来るから帰っちょき、と手を振った。
「せめて1つだけでも答えてくれませんか」
「内容による」
「会長は坂田と何処で会ったんです?」
これには答えが返ってきた。
「葬式」
部活に出席して、待っていたのは何ら変わらない日常だった。当然だ。土方の夢が潰えそうになったところで、それを知る者などいるはずもなく、知っていたところで所詮は他人のただの夢だ。気にしたところでどうなることでもない。
もし誰かが土方を気遣ったり妙に優しく振舞ったりするようであれば、そのほうが不自然なのだ。大切な人のためを思うなら身を引けと言われ、それが他でもない己のような人間だからという理由で牽制され、傷心中の土方を慰めるような言葉や態度は、あるはずがないのだ。
だから土方は今、目の前で自分にマヨネーズを差し出す沖田のことを、とても胡乱な人物であるかのように見返した。
「どうしたんです土方さん。あんたの大好きなマヨネーズですぜ。食いなせえよ」
「…いや、今部活中だし。防具着てっし」
「だからなんだっていうんです。そんなことを気にしてるからあんたはいつまで経っても副部長止まりなんでさぁ」
「中間管理職のどこが悪い!……じゃなくてだな、お前、急になんなんだよ。新手の嫌がらせか?あぁ?」
「滅相もない。傷心中の敬愛する副部長殿を優しく慰めてやろうとするクラスメートの気持ちを察してくだせえよ」
「嘘つけ!敬愛だぁ!?んなこたぁ自作のDETH NOTEに俺の名前と死因を書き連ねることを止めてから言え!!」
大声を上げた土方に部員の視線が集まるが、またかよまぁいつものことだとスルーされる。その注視にはっとして打ち合いの練習を真面目に取り掛かろうとした土方は、持ち上げかけた竹刀を再び下ろして沖田を見た。
「なんで俺が傷心中だってんだよ」
「会長はあんたを坂田さんから遠ざけようとするだろうなぁと思ったんでさぁ。ビンゴ!でしたねぃ」
沖田が己の不幸を喜ぶことなど今さらだ。それに逐一怒ることもない。しかし土方は、沖田が発した“坂田さん”という声が、ただのクラスメートを呼ぶものではなく、もっと深い愛情が篭っていることに気づいた。恋といった類のものではなくて、大切に守りたいものの名を口にしたような。
「おまえ、坂田と知り合いなのか?」
マヨネーズを壁際にぽーんと放り投げて、沖田は防具で見えない顔を土方から背けた。
「向こうは俺のこと覚えてないでしょうから、知り合いってもんじゃねえですよ。もう5年も前のことですし」
意外なところに、意外な接点があった。土方は驚きより虚脱感に襲われ、防具を纏ってただでさえ重い肩をさらに落とした。
坂田が生徒会長と親しいという情報を土方に与えたのは沖田だが、まさか面識があったとは。予想外といえばそうだが、自分や高杉のことを考えると、決してありえないことでもないのだと気づく。類は友を呼ぶというが、そんなとこだろう。自分が高杉を、高杉が土方に気づいたように、土方を知っている沖田が坂田銀時と接触していたとしても、それは起こりうる想定内のことなのかもしれない。
土方は、世界は狭いなあと呟いた。
その時。
めーん。軽やかなかけ声と共に肩口に鈍痛が走った。
「っ…! 総悟てめぇ、不意打ちは卑怯だろうが!」
「あんたの考えが気に食わなかったんでさぁ」
「はぁ?」
お互い、表情は見えない。だが物心つく前からの腐れ縁だ。声や空気で相手の感情は感じ取れる。土方は不思議に思って沖田を見返した。彼が怒っている理由が分からないのだ。
「土方さん。あんたはいつもそうだ」
再び竹刀が振り下ろされる。それは面を狙っていて、土方は咄嗟に自分の竹刀で防ぐが、その力の強さにぎょっとした。
なんでキレてやがるんだ、こいつ……。
右足を一歩後ろに下げて、沖田は竹刀を構えなおした。
「視えるものがあるはずなのに、視えないものしか見ようとしねえ。だからあんたはあの人に避けられてるんだ」
めーん。
本気で打ち下ろされた竹刀は風を切って土方の額を打った。
「今のあんたじゃ、あの人を傷つけるだけだ………姉さんが死んだ、あの時のように」
あまりの力強さに、打たれた箇所が痛みを訴える。ふらついた足を気力でその場に押し留め、土方は心苦しく沖田を見つめた。
沖田はどこまで気づいているのかなんて、もはや、そんな程度のことではなかったのだ。