本気で呆れたという言い様に、んなこたー分かってますよと土方は苦々しく吐き出した。
この人に相談すれば馬鹿にされることぐらい予想できたが、他の人では話の通じないような内容なのだから致し方ない。もしかすると沖田だけは通じるかもしれないが、彼の場合はこの人以上に土方にとって面白くない言い方しかしないであろうことは目に見えているので、相談なんて持ちかけられるはずがない。
「で?本当に何も考えてねえのか?」
「……なんにも」
「うっわダッセーなおい。それでも17か?まだママにオシメつけてもらってんのかテメーは」
「自分が馬鹿でダサくて情けねえってことぐらい、分かってます。だからあんたに話したんでしょうが。いい加減まともに取り合ってくださいよ」
「情けないだけじゃねえだろ。プラスへたれだ」
土方は頭を抱えた。分かっている。選択肢が他にはなかったとしても、この人に言ってしまった時点で大いに間違っていることなど百も承知。それでも言うしかなかった己の心情を察してはくれないのだろうかと、ありえなさそうな願望を抱いてみる。噛み締めた奥歯がぎしりと鳴った。
陰鬱な溜息を長く長く吐き出して、土方は斜め上を見上げる。
「それで、どうしたらいいと思いますか」
「どうするもこうも、普通に話しかければいいじゃねーか」
「それが出来ないから困ってるんでしょうが……!」
土方はついに立ち上がった。そうしてもフェンスの上に座る男にはどうしたって届きはしないが、声を荒げた土方の必死さが多少なりとは伝わったのか、彼は顔を土方の方に向けた。
「ヘタレなかわいそーな後輩に、先輩からひとつだけ教えてやろうか」
さっさと言いやがれ…!などと怒鳴る命知らずではなかった土方は、男の見えない角度でぶるぶると震える拳を握り締めながら、声を振り絞った。
「……お願い、します」
「やなこった」
「ちくしょお!」
「だーれがお前みたいなガキの恋愛事を手伝ってやるかってんだ」
隻眼の目が面白おかしいというように細められる。土方が思い切り強く蹴り飛ばすより早く、二メートル近い高さのフェンスからぴょーんと軽々飛び降りた男の名前は、高杉晋助という。
「せいぜい頑張って、そのテメーの『未来』とやらをモノにするんだな」
恐らくこの学園で土方が最も嫌い、そして土方の唯一の理解者だった。
土方の悩みと言うのはつまるところ、もう一ヶ月近く経つというのに件の転入生である坂田銀時と、一度も話したことがない、ということだった。
その理由の最たるものは、女嫌いで知られる土方が自分から話しかければ瞬く間に周囲にいらぬ噂が立ち、銀時としても迷惑この上ないだろうという心配によるものだったが、それ以上に悩むことがあるとは、土方にも考え付かなかった。
まさか、当の銀時に避けられている 、なんて。
少しでも注目されないよう混雑する下校時を狙って、ちょっとした言付けを伝えるために呼び止めた、的な方法で銀時に話しかけたことがあった。
そしたら、
『あんまり話しかけないでほしいんだ。理由は言えないけど』
と言うなり、銀時は呆然とする土方を置いてさっさと学校を出てしまった。あのときの衝撃は今思い出してもつらい。マジかよ……そればかりが頭の中でぐるぐるしていた。
そんな態度で拒否されて、どうして土方に再チャレンジすることができるだろうか。嫌いだと言われたわけではないが、それと同じようなことだろう。実際翌日から、銀時は土方の半径3メートル以内には近寄らなくなった。席についてしまえば後ろと最前列という距離ができあがり、休憩時間になれば必ず教室半分だけの距離を必ず置かれている。クラスの中で出来たらしい友人たちと話しているときでも、土方が不用意に近づけば自然な動きでその場から離れるのだ。あまりに自然すぎて誰も気づかないその不自然さ。実際、いつも土方と一緒にいる山崎は未だ気づいていないし、沖田だって気づくのには二週間を要した。なんなんだあいつは。土方はイライラと頭を掻き回す。
嫌われるようなことをした覚えはない。本当に、土方が話しかけようと決死の思いで近づいたあの日が初めてまともに顔を正面から合わせた日なのだ。もし普段の土方の行為を見て嫌いだと判断したのならどうしようもないが、それにしたって初対面に近いクラスメートに「話しかけないで」はないだろう。
(なんだっていうんだよ……)
せっかく会えたのに。
まるで恋する乙女みたいじゃねえかと、己を揶揄する。実際そうなのだけれど、だけど自分が抱き続けてきたこの想いは、高校に入学して一目惚れしたりウマがあって付き合い始めたりするそこらの生徒とは違うものなんだと、土方は歯がゆくて頭を抱え込んだ。本来なら当然立ち入り禁止のはずの屋上だから、そんなな情けない姿の彼を見つける者もいない。向かいの校舎の4階は音楽室になっていて、そこの窓からならフェンスに腰掛けていた高杉の姿も見えてしまうが、この時間には音楽室が空であることを高杉から教わっている。
(5年も待った俺が馬鹿だってのかよ)
数字にすると、たったの5年という短さ。けれど、17歳になったばかりの高校生にとっては、その歳月は貴重だ。幼稚園の頃からの記憶をしっかり持っている者だとしても、人生の三分の一の時間。
それだけの時間、土方は坂田銀時という人間を見続けてきたのだ。名前すら知らず、俯きそして空を見上げるその横顔しか見たことがなくても。
夢の中に現れ続けたその女性が、自分の運命を共有する人間なのだと、ずっと信じ続けてきた。
「ここが鍵かかってないなんて、知らなかったなぁ」
不意に聞こえた声に土方は驚い顔を上げた。いつの間にか、山崎がすぐ近くまで歩いてきていたのだ。あの人鍵かけて行かなかったのか。珍しいこともあるんだなと高杉の顔を思い浮かべる。
「…普段は開いてねえよ」
「え、じゃあ土方さん鍵持ってるんですか?ずっるー」
「うっせえ。持ったもん勝ちだ」
なんですかその言い分はと頬を膨らませる山崎は相手にせず、立ち上がって服について砂埃を払い落とす。山崎はフェンスに手をかけて恐々と周りを眺めている。金網が壊れて落ちでもすれば命はない高さだ。いい眺めですねと言われてそうかよと返す。彼は蹲る自分の姿を見てなにも思わなかったのだろうか。故意にではなくわざといつも通りを装っているとしたら、やはり食えない男だ。
戻るぞと言えば素直にはいと返してくる。中学時代からの知り合いで、同い年なのに自分を「さん」付けするクラスメートだ。悪い人間ではないことは確かだが、彼からは時々沖田と同じ匂いがした。そんな人間に屋上の鍵のことを知られたのは失敗だったが、今の土方にはそれをわざわざ口止めする気力もなかった。
今は6時間目が終わる十分ほど前で、どうして授業を抜けたんだと聞けば腹が痛かったからですと言う。なんで屋上にいるのかと聞いたら、以前休み時間の間に音楽室へ忘れ物を取りに行ったらここのフェンスに誰かが座ってるのが見えたから、と言う。フェンスに腰掛けるなんて危ないことをするのは土方が知る限り高杉しかいない。というかそれ以外にいるはずがない。だから山崎が見たのは土方ではないのだが、屋上に来た理由はそれ以上聞かなかった。鍵を持っていることを知れれば問題になるが、教師にチクるとも思えず、それなら追究する必要もなかったからだ。
屋上の鍵を閉めて、階段を下りる。そこには使われていない机が二つと何かで使った看板のようなものが放置されていて、ちょっとした空きスペースになっている。昼休みには数人の生徒が昼食を食べに来るが、今は当然誰もいなくて、階段の壁のおかげで下からは見えない。その場に腰を下ろした土方にならって山崎も一人分間を空けて座りこんだ。
「んだよ。腹いてえならさっさと便所にでも行けよ」
「行きました。ていうか腹痛いのは口実だから、別にいいんです」
やっぱり油断ならない男だ。
土方は座りなおして、山崎を見た。彼はちょっと困ったように眉根を寄せる。
「沖田さんに言ってこいって言われたんです」
「……なんて」
「『ヒントをあげまさぁ』って、言ってました」
山崎が全く似ていない口真似をしたが、つっこむ気にもならない。土方は早く言えと促した。
「『あの人の知り合いが、3年にいますぜ。名前は坂本辰馬。天文部』……あの人って、誰か聞いても?」
土方はその問いには答えなかった。というより、応えられなかった。
沖田は、自分の力について、どこまで気づいているのだろう あのあどけない顔をした少年は、考えていることを一切明かしはしない。過去に土方がしたことを未だに恨んでいるのだろうと土方は思っているのに、時としてこうして手助けするようなことをするから訳がわからない。それが更に土方を苦しませるようなこともあるけれど、それはちょっとしたでは済まされないそれでも悪戯とか嫌がらせで済まされる範囲のことで。
ありがたい、とは思う。でも、彼は自分に何を求めているのだろう。謝罪したって償えるようなことではないし、彼もそんなことを望んでいるとは思えない。死ぬまであのことを悔やんでいろというのなら、それは沖田が与える意味のない罰だ。
今も昔も、悔やまないことなんて、ない。
未来というものも、過去というものも、自分という存在すら定義を持たずただ数秒毎にしか自己が形成されなかった幼い時期。知らないことは罪ではなかった。土方が犯した罪は、沖田に信じさせたことにある。
「なぁ、山崎」
「はい?」
ひとつ、呼吸を置く。
「…………おまえ、俺は未来が見えるって言ったら、信じるか」
「信じますよ」
驚いたのは山崎ではなく土方で、あっさり頷かれた彼は目を瞬いた。
大抵の人間は、それは本当かと疑りながらも期待の眼差しで問い返してきたり、つまらならい冗談だと一笑に付したりするのだ。かの近藤といえど、おまえもまだ夢見る少年なんだなあと感慨深く頷いただけだった。とはいっても「未来が見える」だなんてことは変な目で見られてもおかしくないことだから土方だって言う相手を選んでいるわけで、全ての人間がそう返すとも言い切れないが、それでも迷うことなく信じるほうがおかしい。
実際土方は未来が見えるわけではないから、今の山崎の反応のおかしさがよく分かる。
「……嘘だから、今の」
「どっちですか」
「冗談だよ。未来なんか見えるわけねーだろうが」
なあんだ、と残念そうに溜息を零した山崎が、初めて土方にとって奇妙なものとして映った。時々沖田と同じ匂いをさせるけど、彼と決定的に違って危険な印象は全く無くて、いつも自分と一歩だけ距離を置いている人間。
一歩、だけ。
「 おまえ、変なやつだな」
「…土方さん、今日はなんだかおかしいですね」
苦笑したふうの山崎に土方も苦笑いで返した。自分のペースが少し崩れている自覚はあった。
では、これからどうする? 自問する必要などあるはずがなく、まず己がすべきことは目前に与えられた。
チャイムが鳴り響き、SHRの時間を告げる。しかし土方は自分の教室へは向かうつもりはなかった。優等生として過ごしてきたことはないから、今さらサボりのひとつやふたつでは咎められない。
「土方さん、教室戻らないんですか?」
「腹痛いとでも適当に言っておけ」
3階の渡り廊下のほうを指差す山崎に背を向けて、土方は2階へと足を向ける。
「俺ぁ生徒会長に会ってくる」