『俺のルールだ』
素直になれと言い聞かせる必要もない。土方は彼に恋をした。恋と呼ぶにはあまりにも幼く微小な感情の芽生えではあったが、笑いもせず気負いもせず己の武士道を護ったのだ、と言うその男のまなざしに射抜かれた。その瞳はいっそ穏やかですらあったのだ。ああこんな男だったのかと、まだ名前もなにも知らないにも関わらず妙に納得してしまった。
恋をしているという明確な自覚こそ土方には無かったが、好意的に捉えている己の胸中には気付いていた。彼女は頑固者ではあるがもとは素直な気質なのだ。ふとした瞬間に彼の声が思い出され、また会ってみたいものだと心中で呟かれることもしばしば。それが不快とは思わず尚且つときめきにも似た衝動が胸を走れば、もしかしなくても俺あいつに惚れちまったんじゃねえか、と陰鬱な溜息を吐き出すくらいの素直さは備えていた。
そして土方にとって嬉しくないことに人間というものは、気になった相手のことは、目敏くなってしまうものだ。巡回中または非番中、街をうろつければ時に彼の噂を耳にすることが増えた。というのも土方にとっては意外であったが彼は歌舞伎町で、それなりに有名な人間であるらしい。名前すら知らなかったために誰かが彼の話をしていても気付けなかったが、「あの白髪天然パーマ」とか「死んだ魚の目」とか、ある意味特徴的ともいえる表現のなされる人間の話には共通があり、次第にその話題の人間が己が少し前に相対した人間であることに気付き始めた。そしたら坂田銀時に関わる話を、頻繁に耳にしてしまうようになった。
万事屋なんていう胡散臭い店を営んでいるためであろうが、土方の興味を買ったのは、坂田銀時という人間の器用さだ。多少の得手不得手はあるのだろうが、なんでも屋として名が売れる程度には彼はオールマイティな人間であるようだ。侍のなかでは珍しい種類の人間だった。
土方は、銀時の眼を思い出す。穏やかでありながら苛烈な色を湛えていた。あれは一生忘れられない瞬間になったな、と悟る。
そして出会いが突然であるように、再会もまた突然であり、必然だ。
「あれぇ、多串君じゃないの。どったのこんな夜」
「多串じゃねえっつってんだろうが 飲んできた帰りだよ。いい気分だったのに、てめぇの顔見たら台無しだぜ」
「そいつぁ悪いことしたなぁ」
銀時もどこかで呑んできたようで、彼はべろんべろんに酔っていた。青白い月明かりに照らされて銀時の白い肌がはんなりと淡く光るように見えるが、だからこそ余計に銀時の顔が暗がりでもわかるほど赤くなっていることに土方は気付いた。近寄ると濃厚なアルコールの匂いがしてくる。
「たいした収入もねぇくせに、いいご身分じゃねえか。ぁあ?」
「なんでお前が俺の収入額知ってるんだよ……今日のは俺の金じゃねーもん。奢ってもらったの。最近出会ったダンディなおじさまに。で、セクハラがうぜーから仕事ほっぽって逃げてきたってわけ」
思わず眉を顰める。ダンディなおじさま。それを銀時はどのような意味合いで言ったのか、土方はなんとなく分かってしまった。セクハラをされてきたというあたりからして、その人物は銀時を囲おうとでもしたのだろうか。この手の話は虫唾が走るほど嫌いだった。憎しみに近いものがある。それは土方が女であり、未だ男を知らぬせいかもしれない。今ではご法度とされている遊里に住まう者たちとは違う、矜持も何も持たずにただ金と欲のためだけに体を売ることを土方は嫌った。
ふと、ひっかかるものを感じて、土方は銀時を見下ろす。銀時は既に夢心地といった様子で、もしかすると土方の存在すら忘れているかもしれない。頭がゆらゆらと揺れて瞼が半分ほど落ちかかっている。
しかし土方は、銀時が思いのほか綺麗な人間であることを知った。月明かりに照らされるその銀糸の髪はいかにも柔らかそうであり、肌蹴られた胸元も着流しからのぞく男にしては華奢すぎる腕も、その貌も、陶磁器の如き白さであり、魔性ともいえる色香が感じられた。胸に巻かれているさらしが何のために巻かれているのかはわからないが、それに重ねて巻かれている包帯の下にあるであろう傷は、先日、土方がつけたものだ。傷は治りかけているだろうが、痕は残っているのだろう。それすら銀時の魅了を引き立てるものとなりえそうだった。
「おまえ、綺麗なんだな」
思わず漏らした呟きに、しかし銀時は何の言葉も返さなかった。すでに夢の世界へと旅立っているのだ。ぐらりと大きく傾いたからだを土方は反射的におさえ、おさえてしまってから放っておけばよかったと後悔する。惚れてしまったものの、この男の性格はどうも好きになれそうにないのだ。あまりかかわりたくないというのが本音の半分ほどを占めている。少々乱暴にベンチに銀時のからだを横たえてやった。
帰ろうと思った。が、このまま銀時を置き去りにするのはどうにも躊躇われてならず、土方は銀時の横に腰掛ける。一緒に夜を明かしてやるつもりなどない。でもあともう少しだけ付き合ってやろうと思った。
天然パーマを指先で弄びながら、なんでこいつみたいなアホ面を気になっちまったのかと、銀時の寝顔を見下ろす。
場所は歌舞伎町内の小さな公園。すべり台とブランコ、野良猫のトイレと化している砂場にベンチが一脚あるだけの、こぢんまりした公園だった。
銀時はベンチに横たわってぐーすか眠っている。その頭の横に土方は腰掛けている。傍から見れば立派な恋人同士だったが、それを気にする通行人は先程から通っていないし、当の二人も全く気付いていない。銀時は眠っているのだから当然で、土方に至っては“恋人”なんてものは己に一番縁遠い存在であると信じて疑わないためにその概念が頭を過ぎることもなかった。
しかしここで土方が気にすべきだったのは、自分がめっぽー酒に弱いくせに酔った自覚が薄い、ということだったのだ。
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目を覚ました銀時は、まず視界一面に茶色い土が広がっていることに驚いた。見渡せば滑り台や鉄棒が見える。なるほど公園か。そして何故か自分はベンチから転がり落ちてそのまま眠ってしまったようだ。情けない。
身を起こそうとした銀時は首を傾げる。自分の体を地面に縫い付けるものがあった。見れば腰に誰かの腕がある。ちょっと首を捻って後ろを見て、思わず絶叫しそうになった。なに、なんなんだこの状況は。
銀時の記憶は、昨夜、セクハラおやじを蹴飛ばして「もーあんたからの依頼は金輪際受けねぇ」と啖呵を切り、酔った頭を醒まそうと公園に入ったあたりで途切れている。
それが、どうして、どうすれば、あの警察のお姉さんが自分の背中にひっつくようなことになるわけ!?
パニックに陥った頭はすぐに冷静さを取り戻した。身動きしたためか土方がぼんやりと眼を開けたのだ。眼をぱちぱちと瞬いて銀時を見る。お互いの顔がとんでもなく近いことに驚いたが、その黒曜石の瞳に銀時は見惚れた。瞳孔の開いたヤツと罵ったが、身近に見ればこんな綺麗な顔をした女だったのかと不思議な感慨が湧く。
「おはよう」
「…………………なにしてんだてめぇ」
「え、これどー見ても俺が被害者じゃないの?まぁいいからさ、腕、放してよ」
土方は怪訝そうに首を傾げ、そして己の腕が何を掴んでいるのかを知り、「うわぁああああああ!」と大声を上げて素晴らしいスピードで銀時から離れた。
「てめぇ、何しやがった!」
「俺が聞きてぇよお嬢さん。俺の記憶はベンチに座ったとこで途切れてんだ。なんであんたが俺に抱きついてるのかなんて、わかるわけねーだろ」
「俺だって、昨日の記憶は 」
そこで不自然に言葉が途切れる。思い悩むように眉間が寄り、何かを思い出したように彼女はぱっと顔を上げた。
そして、赤面。
「……え、………ちょ、どうしたの?」
「うるせぇええ!もとはと言えばてめぇが悪ぃんだ!!」
土方は銀時の胸につかみかかった。胸倉を掴まれガクガクと揺さぶられ、揺れる視界の中で銀時は土方の顔をただ見つめる。俺、何をした?銀時には思い当たる節など全くない。酔った勢いで何かを言ってしまったとしても、それは土方がここまで怒らなければならないような暴言だったのだろうか。いや違うだろう。土方は怒ってはいるが、それは罵倒されたことによるものではなさそうだ。
では、何に?
飲んだわりには思考は冴えていて、銀時は冷静に考える。とりあえず、何かをわめいている土方の腕を掴んで揺らすのをやめさせた。
「なぁ、俺、酔ってる時あんたに何言ったの?」
「なんも言ってねえよ。言ってねぇが……っ」
そこでふと、土方は銀時を見た。ただし、銀時の顔ではない。
視線は、銀時の胸元に注視されている。
「………………………………………………なんだ、それ」
土方の視線を追って、銀時も己の胸を見た。
巻いていたさらしがゆるみ、覗いているもの。それは銀時には見慣れたもので、当たり前についているものだ。銀時は「なにが?」と首をかしげて土方を見る。
視線はそのままに、彼女は口を開く。乾きひび割れた唇は小さく震えていた。
「……俺の目がいかれてなけりゃぁ…これは、乳房、だよな?」
恐る恐る指差された、その先。
細い首筋。肩。…鎖骨の下。
丸い隆起が、確かにある。双つ。
何のためらいも無く、はっきりと、銀時は頷いた。
「そうだけど」
銀時は後に語る。
あっちの世界に花畑なんか見えなかった、と。