時刻は17:34を28秒ほど過ぎたところ。毎日きっかり定刻で終わるような仕事ではないが、それでも今日はこれといって溜め込まれた仕事も騒がしい事件もなくて、久々に長風呂できるかななんて、考えていたのに。
「……早く止めよ。ちくしょうが」
雨宿りをし始めてから、かれこれ30分近く。
未だ雨は止まず。



空気は重く湿っていたし、空模様はどう甘い考えで臨んだとしても「雨天注意」だった。沖田を追い回すのに夢中で朝の天気予報を見逃してしまったとはいえ、誰もが雨の訪れを予期できただろう。
にも関わらず、土方は屯所に傘を置いていてしまった。今日は車ではなく歩きだったから見回りに傘なんかは邪魔だというのが第一の理由だが、夜までは大丈夫だろうと甘く見てしまったのが最大の間違いだ。一緒にいた隊士はちゃんと傘を持ってきていたが「副長と相合傘なんてまっぴらごめんです」と、とても正しい主張をしてさっさと屯所へ帰ってしまっている。そこで副長である土方に傘を貸して己は濡れて帰るなんてお優しい精神の持ち主は、あいにく真選組にはいない。車を回してきてくれるような気の利いた男も、もちろんいない。
まさに土砂降りというにふさわしい降りようで、地面で跳ねた水の雫で既にズボンの裾あたりは濡れそぼっている。通り雨だろうと思って軒先を借りたというのにおさまるどころかひどくなるばかりで、このまま待っていたところで状況は変わらないだろう。これはもう諦めるしかないかなと、煙草を踏み消した。
そのとき視界に入り込んだのは、陰鬱な雨空の下にはかなり不似合いな、ショッキングピンク。
そしてそれを持っている人間の格好があまりにも見知ったものであったために、土方はつい後ろを向いてしまった。自分は何も見ていない。だからお前も俺に気づくな、と真剣に願いつつ―――。
「……なにしてんの、きみ」
「俺は何も見てません聞こえてません。あんなド派手な色のもんを掲げて歩ける男なんざ俺の知り合いにはいねえ」
「しっかり見てんじゃん。駄目だよ副長さん、知り合いに会ったら挨拶しましょうってお母さんに言われなかったの?」
「母親なんていねえ」
「俺もだけど、聞こえてるならこっち向こうよ。背中向けてる美人に一人で話しかけてる俺ってなんか別れ話持ち出されてる間男みたいじゃん」
「なんだその喩えは!」
思わず振り返り、やってくるのは後悔の嵐。
「………眼が痛ぇ」
「病気か?失明か?安心しろ副長の座は沖田君が狂喜しつつ貰い受けてくれるから」
「誰があんなやつに…じゃなくてだな、とりあえず、その傘は畳め。眼に悪ぃよその色は」
「見なきゃいいのに」
「振り向けって言ったのはどこのどいつだ…!」
そんなこと言ったっけとでも言うように首を傾げられる。たった10秒ほど前に自分が発言したことにすら責任を持てないのかこの男は。
しかし銀時は傘を畳もうとはせず、「ん」と土方にピンクを差し出した。
「………なんだよ」
「あんた、雨宿りしてたんだろ?これ使えよ」
「てめえのもんなんか借りたかねえ」
「いやこれはさっき行ってきた仕事先のおばさんが親切にくれたものだから」
「余計借りらんねえよそれ」
差し出された傘を押し返す。しかし銀時の腕はびくともせず、逆に土方の手をがしりと掴んで傘の柄を握らせてしまった。
「いらねえっつってんだろ」
「使えって   女の子ってのは、あんま冷やさないほうがいいんだろ?」
「んなこと知るか」
「意地っ張りだなあ」
銀時はやれやれと溜息をつく。その間にも彼は雨に濡れていて、白の着流しに薄いシミが広がっていくのを見てなんとなく心苦しくなった。けれども握られた手の平はどうしてか外れず、傘は土方の手に握られたまま。
俺はいいんだ気にするなと言えば、びしょびしょで帰って風邪ひいたらお前笑えねーよなと鼻で笑われる。その時タイミング悪くも土方はくしゃみをしてしまい、それみたことかと銀時は可愛そうな子を見るような視線を寄越してくる。確かにここまで頑固に親切を拒否するのはどうだろうとも思う。ここから万事屋の家の方が屯所より近いこともお互い知っているから尚更。
だけど土方はどうしても彼に貸しを作りたくなかったのだ。どうにか退いてもらおうと、何よりこの色は気に食わねえから嫌だと言うと彼はまったくそのとおりだ俺も恥ずかしかったもんと頷いた。
でも、相変わらず手は握られたままで。
さっきまで冷えていた指先が不思議と温かかったのは気のせいだ   土方は一歩踏み出して力任せに銀時に傘を付き返した。
「いらねえ」
「……強情」
「わかってる」
暫く押し問答を繰り返していたのだが、銀時がふと言葉を途絶えさせた。
「ここで傘を貸せなかったら男としての矜持が傷つくって言ったら、受け取るか?」

卑怯者。呟いた土方に銀時は穏やかな笑みを見せて、傘返すときはお菓子付きでよろしく、と言って雨空の下へ戻っていった。