(誰もいない)
孤独は、声にしてしまったら現実になるのだ。
ひとりぼっちしか居ない世界で、自分のほかに誰かがいると信じたい。だから銀時は闇の中でじっと眼を凝らすのだ。
(眼を、瞑るな)
耳を澄ませば何かが聞こえてきそうで、だけど実際には何の音もしない暗闇の中に、自分の呼吸音だけがぜぇぜぇと響く。真っ暗な闇夜に溶けた酸素はいくら吸っても闇に溶けるだけで、本当に空気を吸えているのかとまた吐き出す。あぁ苦しい。
(息が、)
苦しいというよりも、
(息ができない)
水の中にいる魚はこんな気持ちなのだろうか。ただぱくぱくと口を開いたり閉じたりして、苦くなった唾液を吐き出した。
ふと、辺りになにかの気配を感じる。それは視線だった。自分をじっと見ている。
ああ誰かいたのか。そう安堵したのは束の間のこと。それが誰で、あるいは何なのか、分からないのに分かっているようで、そして見たくないのに見てしまった。
そしてそれは、
(俺か)
知らないけど分かっていた。
暗闇の中で、ぽつんと自分が立っている。
「 という夢をよく見るわけですよ」
「………それが怖い話?」
「おま、この怖さが分かんないの?真っ暗なんだぜ幽霊が出るにはもってこいな暗闇だぜ。そこで息もできずに苦しんでたら目の前に俺がいる――!!なんて、ホラー以外の何者でもないだろうがよ」
「まぁ、確かに恐怖だなそれは」
「だろう!?朝起きたらもう汗びっしょりだよ。この歳になっておねしょしちゃったのかと思わず疑っちゃうくらい汗だくで、」
「あーもー分かったから黙れや」
土方は銀時に向かって100円アイス(新商品)を投げつけた。季節はとっくに夏を通り過ぎていたけれど甘党の彼女にとってはそんなもの関係あるはずがなく、「今時新商品なんか出してるとこあったのマジかよよく見つけたなあ!」と、うきうきと封を開け始めた。因みに土方が今手にしているビニール袋には甘い飲料数本とやはり糖分たっぷりなお菓子の袋がいくつか入っている。どさりとテーブルに置くと、銀時の眼がそれはそれは可愛らしい子どものように輝いた。
「それで?」
子どもがいる家なんだから煙草は吸うなと言われているが、ニコチン摂取は癖とか習慣とかを通り越して我慢しようと考えなければならない以前の問題で、今日もまた何も考えずとも手はすんなり懐の煙草に伸びライターでぼしゅっと火を点けてしまい、そして口に咥えたところで「煙草は禁止!」と銀時に奪い取られてしまった。依頼主には吸わせてるんだろうが別にいいじゃねえかと言ったこともあるが、てめえは依頼主じゃねえしそもそも煙草吸って匂い残して一番困るのはあんただと思うけど、というのが銀時の言い分。確かにその通りだった。土方は、神楽や新八が休みを取ったりお妙のところに行っている日にしか、銀時と会うことができないのだ。いくら女と気づかなかったとはいえ、銀時の肩に怪我を負わせてしまったという事実は重く、土方は未だに銀時と付き合う許可を貰っていない。もしタイミングを間違えて万事屋の子どもと玄関で対面してしまったなら、生ゴミのごとく二階から放り投げられるのが関の山だ。(実際何度か投げ捨てられた)
因みに、銀時が屯所へ来てくれれば良いのではないかという案は、「俺あんたよりあいつらのが大切だから、言えないようなことはしたくない」という銀時の主張により却下されている。
つまり、短い時間でもいいからと万事屋にいそいそ通っていることを誰かに知られるのは、決して良いことではないわけで。チャイナの少女が般若の如く怒る様はもちろん、眼鏡少年の嫌味の雨もうんざりだし、毎回沖田にからかわれるのも疲れる。
とはいえ、でもやっぱ煙草吸いてぇ…土方はソファにどさりと座る。「それで、何が言いたいんだ」
100円アイスを口いっぱいに頬張って、銀時は首を傾げる。
「なんも無いよ?」
「ひとりぼっちの夢が怖いってのぁ、あれだろ、一緒に寝てくださいってことだろ」
「馬鹿ですか貴方何馬鹿ですか。誰がそんなこと何時お願いしましたか。自意識過剰もほどほどにしないとウザいよ」
「怖いことあったから聞いてって言われたら、誰でもそう思うだろうが」
「思いません。馬鹿がうつると嫌なのでさっさと帰ってもらえますか」
土方は空を仰いだ。見上げた先には薄汚れた天井が見えるが、土方はその向こう側の青空を思い浮かべた。万事屋に来るまでに見た空は爽快に晴れ渡っていた。人の心がどうあろうと天気は何の関係もないとばかりにさっぱり無視して、土方がどんなひもじい心で恋人と接していようと空は蒼く澄み渡るのだ。
(別れるべきか……)
ちっとも疲れた心と体を癒してくれない恋人に、いい加減疲れてしまったかもしれないと思ったが、それよりまず俺らって付き合おうなんて言い出したことねえじゃんかと、大きな問題に突き当たり。
「あれ、土方君泣いてる?」
「ちょっと黙ってろ……」
目頭が熱かったが、まだ涙を浮かべるには至っていない。土方は目元を手で覆ってくっと奥歯を噛み締めた。どうしてこんな惨めな思いをしなければならないのだ。恋とか愛ってものなんか、これっぽっちも信じていなかった頃の己が懐かしい。
愛ってなんだ。誰にも聞けず、そして誰も答えられないであろう問いに答えを出したのは、目の前のだらけた人間だった。土方はこの女を好きになってしまったのだ。あいつのこと好きなわけがねえこれは絶対に間違いだと、考え込んだこともある。だが銀時が、「俺、おまえのこと嫌いだけど嫌いじゃねーや」と意味不明なことを言って笑ったのを見た途端に、そんな悩みなど、どうでもよくなってしまった。思わず「俺はおまえが好きだ」と言ってしまったのだ。お互いにぎょっと眼を見開いて、見つめ合って、そしてその沈黙に耐え切れず土方は銀時に口付けてしまった。勢いがありすぎて歯と歯がぶつかったが、そんなことを気にしていられないくらい土方は衝撃を受けた。触れた唇の柔らかさに戸惑い、そしてそれを求めていたことに気づいてしまったからだ。答えはこんなところにあったのかと、銀時を抱きしめて「好きだ」と囁いた。言葉を重ねれば重ねるほど心臓のあたりが重く痛くなって、それとは逆に銀時が好きだという想いだけはますます大きく胸の内で膨らんでいった。土方は銀時に愛を教えてもらったのだ。
だけど、思い返してみるなら、銀時からは「好き」の一言も貰っていなかった。土方が一方的に銀時を抱きしめて、キスをして、そしてセックスまでして。それらを一度も拒まれたことがないから、勝手に付き合っているつもりでいたのだ。なんてことだ。土方は両手で顔を覆った。あまりに自分が情けなすぎる。
「 なあ、銀時」
「なに?」
見れば口の横にチョコレートが付いていたから、土方はなんの意識もなく当たり前のようにそれを指で拭った。ほんの、ほんのちょっとのそれを逃してなるものかと、土方の手を掴んで銀時はチョコを舐め取る。それだけでは終わらず、土方の指を咥え、口の中でべろりとまた舐めた。
手を取られたまま、土方は深く項垂れた。
勘違いをしていたのは、何も自分の迂闊さだけが原因ではないのだ。というより、最大の原因は、こいつのこの性格によるはずだ。女としての嗜みとか恥じらいとか、そんなものとは無縁の女性であることは重々承知していたけれど、それに振り回される立場に立たされると、どうにも苛立たしい。
ふと、顔を上げる。そして土方は顔を引き攣らせた。銀時は笑っていたからだ。土方の指をしゃぶったまま。
「なに悩んでるか知りませんけど、いい加減に構ってくれないと追い出すよ?」
この野朗。男じゃないから野朗ではないけど、低く唸って土方は銀時の横に移動した。にっと口を吊り上げて笑う彼女をソファに押し倒して唇を重ねる。快楽を誘うものではないただ重ね合わせるだけのものから、濃厚なものへと。アイスを食べたばかりの咥内はひんやりとしていて、絡めた舌先はとんでもなく甘かった。甘いものは好きではないけれど、これは別物だ。たまらねえと思わず舌なめずりしてしまうほどに。
「好きだけど、やっぱ嫌いだ」
肌蹴た胸元に顔をうずめて、鎖骨の下に吸い付く。さらしの上から胸を撫ぜるともどかしそうに銀時の体が揺れたが、夕方になれば子どもたちが帰ってくるためにそれ以上の行為には及ばない。
銀時はうっすらと朱色に染めた頬を少し歪めて、土方の頭を抱え込んだ。
「それぐらいがちょうどいいよ 暗闇を怖がるようには、なりたくないから」
「怖いなら、俺を呼べばいい」
仕事でどうしても抜けられないとき以外は、銀時が呼べばいつだって駆けつけて来れる。暗闇が怖いというなら一緒にいてやれる。自分だって怖がりだけど、一人よりは二人のほうがいい ただそう思って言っただけなのに、ぎゅーっと強まった抱擁に土方は慌てた。胸に顔が押し付けられて、悪くないのだけれど息苦しい。
「あんたって、やっぱ最高だよ」
耳元で囁くというより、言い聞かせるに近かった。嬉しい褒め言葉だけどやっぱり「好き」という言葉ではなくて、きっと自分はとても情けない顔をしているのだろう。銀時の顔は見えないけれど、自分と同じ顔をしていればいいと思った。
強く抱きしめてくるその柔らかな腕はまだ放してほしくなかった。だけど彼女の背中に手を回して抱きしめたいとも思って、そうして自分がどれだけ好きになってしまったのか伝わればいいのにと、土方は切なく震える腕の中で眼を閉じた。