好きだ、と言われて、からわかれているのだと思った。それにしたって随分笑えないジョークだと思った。
笑ってああそうなの、と誤魔化そうとして土方の顔を見たら、言葉は喉の奥で詰まってしまった。
真剣で、真っ直ぐで、痛いくらいに鋭い目が、自分を見ていた。
笑って誤魔化す事が出来なかったが。
返事をすることも出来なかった。
だって自分は、愛なんてもの、とっくの昔に失くしたものだと思っていたから。
「そんなもの、いらない」
告げる言葉には、嘘などなくて。
「そんなもの……?」
「愛なんていらないんだ。忘れてしまったから」
それはどういうものなのか、どうやって受け止めればいいのか。どうすれば信じることができるのか。もう銀時の感情は何も思い出すことができない。愛することができても、それを愛だと言える舌を。言葉を。全ては捨てられてしまった。いつのことかすら思い出せないくらい昔のことだ。
身を翻す銀時の細腕を土方は掴む。ぎりりと骨まで痛むほどに強く。
「そうやって捨てるのか」
「捨てるんじゃない。それは知らないものなんだ」
銀時は哀れむような目を向けた。しかし土方は能面の如く表情を強張らせ、「ふざけるな」と低く唸った。
「知らないものをどうして『いらない』なんて言える」
「食わず嫌いなんだ」
「冗談にも程があるぞ」
「ふざけてんのはそっちだろ?」
離せと振り払おうとした腕はしかし離れず、銀時は溜息とともに土方を見返す。
「いらないって、俺は言ったんだ。俺以外のやつにでもくれてやれよ」
思い返すなら、珍しい過ちを犯したものだと思う。
けれどこのとき銀時は、土方の言葉を本当に煩わしく感じたのだ。
捨てたはずのものがまだあるのだと己に告げる男が、怖くてたまらなかった。
立ちすくむ銀時を壁際に追いやり逃げ場がないよう、壁と己の体とで挟み込む。
壁に叩き付け、肩の痛みに呻いた唇に噛みつくように口付けられた。
「ぁっ!」
叫ぼうとするのを無理矢理封じ込め、細い身体を抱き締めながら、その唇を何度も何度も啄ばみ、逃げる舌を追いかけ、熱い吐息を深く注ぎ込まれる。
「止めっ!‥‥っ嫌だ!!」
僅かな隙間から、必死で制止の声を上げる銀時だったが、すぐに叫ぶ声ごと土方に吸い取られ、舌を絡め取られて抵抗する力まで封じられてしまう。何とかして引き離そうとにも、既に膝に力が入らず一人では立っていられない状態で、土方の思うように咥内を蹂躙された。
どうしてだ、と銀時は胸中で問うた。
腕力にはそれなりに自信があった。例え女の身であろうと攘夷戦争を生き残ったのだ。決して過信していたわけではないが、安穏とした時代しか知らない人間に比べれば腕が立つほうだとは思っていた。
それがこうも覆されるものなのか。男と女であるという理由だけで。
掴まれたまま微動だにしない腕に、相手の力の強さを思い知る。女と知らない頃は何かと喧嘩腰であったが、女と知れてからは打って変わって「女性」としての対応をしてきながら自分を武士といて見てくれた男であっただけに、こうして腕力で力の差を示されたことが衝撃だった。女である自分はもはや、一人の人間と対等に闘うことすらできないのだろうか。
刀は捨てたそのとき、いろいろなものが一緒に無くなってしまった。自分がそれを望んでいたのかは別として、本当にたくさんのものが自分のなかから消えてしまったのだ。それでも捨て切れなかったものも残っていて、鉄の重さの代わりにもならない木刀をぶら下げて、せめて侍の心だけは折らずに生きようとした。
でもそれも全て、偽りでしかなかったのだろうか。失われたものは、何のために捨てられてしまったのだろう。刀を捨てたときから自分はもはや侍ではなくなり、そして力さえも失ってしまっていたのだろうか。平穏な生活を送ることが自分にただの女に成り下がらせたというのなら、自分にはもう、何も残されてはいない。
こんな形で思い知らされるなんて、裏切られた気分だった。いや事実、自分は彼に裏切られてしまったのだろう。
いらないと、そう告げたのに。
「土方……!!」
男を呼ぶ声があまりに女そのものであって、いつしか両の目から零れだした雫すら気づかなかった。
認めたくない。認めたくない。だけど動かせない腕と体はどうしたって現実を突きつける。自分は女だ。そして男に愛という感情を向けられてしまった。それは銀時にとって知らないもので、そして恐ろしいものであるのに。自分をがんじがらめにする凶器だ。
「嫌だ………」
思い出すのが怖い。それは捨てたものだ。消えてしまったものだ。奪われてしまったものだ。
再び与えようとするこの男が怖い。銀時はただ嫌だと繰り返す。嗚咽混じりのその女の声を土方は初めて聞いた。刀で斬られようが涙目にすらならない強い女であったのに。
「銀」
「やめろ!」
掴んだままであった腕が解放されると、銀時は両手で耳を塞いだ。そのままずるずるとしゃがみこんで、何も聞きたくないというようにかぶりを振る。土方はそんな彼女を見下ろして、どうして、と呟いた。
本当は思い出していた。人が与えてくれる熱の温かさも世界に色があることも。愛を貰ったなら愛を返せばいい。傷が分からぬようすることはできないが、間違っていたならやり直せばいいと。だけど銀時は恐ろしかった。失われたものを再び持つことが怖かった。
だから銀時は捨てることもできなかったのだ。