最初から根負けするのは自分の方だと、土方はわかっている。忍耐して我慢して眉間の皺を2,3本増やそうが無駄な労力を費やすだけのことなので、とっとと諦めて相手が相手だから仕方が無いの一言で済ませてしまうのが最善なのだ。しかし己の精神を疲労させる当の原因がにっこりと確信犯な笑みで真正面のソファに座ってこちらを見ているものだから、そう素直に頷いてやるのはどうにも癪に障る。だから土方は出来うる限りのしかめっ面をつくって銀時を見返した。まだ降参するつもりは無いからなという、笑顔の彼女を前にすればこれまでに費やした労力以上に無駄な意思表示。
案の定、お互い視線の持つ温度差が激しい睨めっこを早々に切り上げると銀時はその白い足を悠々と組み替え、あとは答えを待つだけという姿勢を示した。ほんのりと湯気を立たせる湯のみが触れる唇は緩く弧を描いている。土方がどうしようと何を言おうと全ては予想済み、ということだ。
どうにかして、こいつの余裕綽々な仕草を切り崩すことはできないだろうか。例え年下であっても男としては少々情けない考えが頭を過ぎっては消えを繰り返し、無味乾燥な時間だけが刻々と過ぎていく。そう滅多に取らない休暇だというのに何をしているのだろう。こういった時間を過ごすよりもっと有意義な過ごし方はいくらでもあるはずで、我ながらくだらない意地を貼り続けているのは何故だと不思議に思う。惚れた弱味という言葉をよく聞くが、自分もそれを理由にすることができればどれだけ楽になることか。銀時へ向けていた視線をふいと逸らして、かすかに黄ばんだ壁を見やる。時計でも飾ってあったなら、ただ時間だけが経過してくことをこの目で確かめ、少しは素直になろうと決心するのももう少し簡単になったかもしれないのに。
胸の内でひっそりと数を数えていく。1,2,3……いつも彼女のもとへ訪れるときは必ず手土産を用意している。今度覚えていたら時計を持ってこようか…14、15……なんか俺こいつに奢ってばっかじゃねーか…27、28、………いや恋人としては当然だよな女に奢らせるなんて格好つかねーしやっぱ…34、42、43、44……秒感覚も曖昧に50を数えきった土方は、もうしょーがないと息を吐き出す。つくった表情に顔の筋肉も疲れ出してきたものだから、彼女に応える前にひとまず一服と自分に言い訳をして煙草に火を点けた。銀時はちらりと一瞥を寄越してきたがここで吸うなとは言わず、湯気の消えた粗茶をこくりこくりと飲み干す。
コトリ。湯のみが卓上に置かれるのを確認して、まだ半分も吸っていない煙草を灰皿に押し付ける。背もたれに預けきっていたからだを起こして、銀時をもう一度見据えた。
が、いつものことながら、一筋縄ではいかせてくれないのが坂田銀時という女性だ。彼女はテーブルに置いた湯飲みをもう一度手に取り、土方の前にも置かれたが口の付けられなかった湯飲みも持ち上げて、「お茶、淹れ直してくる」とソファから立ち上がった。
思わず脱力した。
「おまえなぁ……」
「ん?」
「そうやって人の決意を弄ぶのやめてくれねーか」
「あれ、なんか決意するようなことがあったの?銀さん初耳ー」
「白々しいやつ」
湯を沸かしつつ振り返りほくそ笑んだ銀時に大して、これぐらい恥でもなんでもないと半ばやけくそ気味に土方も負けじと笑い返す。ソファから立ち上がって彼女のすぐ傍まで近づいた。
腰に手を回して引き寄せれば聊かたじろいだふうだったものの、恥じ入るわけでもなく土方の目だけをしっかりと見返してくる。土方はこっそりと胸中で溜息をついた。土方は、この瞬間の彼女の眼に惹かれていた。それこそ子供の初恋のように、じっと見据えられるといくばかの距離を置くか顔を背けたくなるくらい、見るたび土方に衝撃をもたらすものだ。
本人は無自覚なのだろうが、こうやって至近距離で視線を合わせるとき、彼女の紅玉の瞳は息を呑むほど澄んだものになる。ただ相手を見ようとするのではなく、ちゃんと知ろうとしてくれる人の目をするのだ。ソファで向かい合って微笑まれるだけでも充分迫ってくるものがあるのだが、この瞳はそれとは別物だと思う。思わず目を瞑りたくなる。けど、決して眼を逸らしたくない。と、知らず彼女を抱き寄せる腕に力が篭る。
普段のぼんやりとした表情ではなくてこの目をしていればもっと見目良くなるだろうにと思わないでもないが、そうすると不要な虫まで大量に付いて来てしまう気がする。だからこんな目をするのは、こうして近づいた時だけでいい。
「おまえが一度でいいっつったんだから、本当に一度しか言わねーぞ」
うん。銀時は頷く。
その時ふと目元を緩ませた眼差しに、不覚にも、本気で銀時のことをかわいいと思ってしまった。
こつりと額を合わせて、吐息がかかる距離で、言う。

「俺は、おまえのこと、すっげー好きだ」

ありがとう、と微笑んだ銀時に、耐え切れず土方は深い口付けを落とした。