4人目のマイスターが紹介された時、アレルヤはその幼さに驚き、同時に、その幼い子どもですらガンダムに乗ることが許されるこの世界を嘆いた。争いはどの時代にでも存在しどのような人間にも降りかかる。それでも、まだ庇護されて問題のない子どもまでが戦場に立つことは、理解と納得はできても許容はしたくない。
これからよろしくね。そう言ってほほ笑んだアレルヤの顔は寂しげであったかもしれない。なのに、子どもはそれを不思議がる様子もなく、その瞳はひたすらに無感情な色を湛えていた。最初に目を合わせてからずっと、彼の瞳はちらりとも揺らがない。そこでアレルヤはひとつの確信を得る。
差し出した手は握り返されることはなかった。子どもはアレルヤの無骨な大きな手に視線を落とし、それがなんの意味を表すのか理解しかねるようにアレルヤへと視線を戻す。彼がどのような境遇によりこの場所へ立つことになったのかアレルヤは想像することもできなかったけれど、その一動により、子どもが誰かと握手するような環境で育ったわけではないことは感じ取れた。
行き場をなくしたかのように思われた手を、アレルヤはひっこめたりはしなかった。体の横にぶらりと下げられた子どもの手を掴んで引きよせ、己の手の中に握りこんだのだ。
よろしくね。刹那。
子どもは大きな目をさらに大きくして、自分の手とアレルヤの手を凝視し、そして息を呑んでその手を振りほどいた。健康的とまではいかなくても子ども独特の白い頬は、青ざめてすらいる。意図の図れない行為に驚いているのだろうかというアレルヤの想像を裏切り、子どもは赤い唇を震わせて、一言、呟いた。
それは声の大きさに比例せず、アレルヤの胸の内に大きな陰影を落としていった。あぁ、と。アレルヤは胸中で嘆きの声をあげる。この子はまだ、こんなにも。
「おれに、さわるな」
その日からずっと、アレルヤが刹那に触れたことはない。
表情の少ない子だなぁという想いは、感情の欠しい子だなぁという想いへと変化していった。呼べば振り返るし話しかければ短小な文ではあるが返事もする。だけど彼は笑わないし怒らない。
表情のレパートリーが少ないという点で、似た者同士であるマイスターがもう一人いる。メガネを掛けた彼はその秀麗な美貌とは裏腹にかなり手厳しい性格をしている。それでも、笑った姿こそ見たことないが、彼はよく怒るし言葉数も少なくない。似ているようであっても、やはりあの少年は他とは異なる。
ねえ、どう思う?年長者であるロックオンに悩みとして持ちかけてみれば、それはお前があいつを笑わせるようなことも怒らせるようなことも言わないからじゃねえのか、と彼は小さく笑んで言う。「それはそうかもしれないけれど、でも、」続く言葉が思い浮かばずにアレルヤは眉尻を下げて手の中のマグカップをくるりと回す。ミルクなしのインスタントコーヒーの水面に、困ったように押し黙る自分の顔が映る。ロックオンの言うことはもっともなのだ。ただ「おはよう」と挨拶をして、「今日の調子はどう?」と訊く。それだけでは感情の起伏が起こるような会話が成り立つはずもない。一言目が「こんばんは」に変わり二言目が「今日は何かあった?」と問い掛けになろうとも、相手の返答はいつも同じものなのだ。一言目には浅く頷き二言目には「問題はない」と答える。毎日のように繰り返される、コミュニケーションとはとても言えない短い対話。だけどそれ以外にかけるべき言葉がアレルヤには思いつかない。だって「おはよう」の後になにを続ければいいのかが分からないのだ。もともとガンダムマイスターである自分たちは、ソレスタルビーイングに所属する運命共同体であっても、個人として人間として存在する必要は求められていない。だからマイスターたちは皆、自分以外のことを知らない。共有できる話題も、日常もない。
試しにとばかりに、アレルヤは顔を上げてロックオンを見つめ、「ロックオンは、今日はどうだった?」と訊ねてみる。彼は一度瞬きをしたあとに「買ってあると思ってたハロ用のワックスがなくってさ、ハロが拗ねちまってね」部屋の中を転がっていたハロが「ロックマン最低!」と声をあげて跳ねた。その様子に、まだ拗ねてんのかよ。やれやれだぜ、というように肩を竦める。それまでの話の流れから意図を察したわけでもなく彼は自然にアレルヤに応え、会話の応酬が成される。お疲れ様と声をかけながら、ほらね、やっぱりあの子は勝手が違うんだとアレルヤはますます途方に暮れる。
「……嫌われてるんだろうか」
思い出されるのはお互いが初めて顔を合わせた日。他人との接触を極端に厭う刹那の手を無理やり握った。あれは確かに、された方としてはかなり不愉快だろう。
それ以外で嫌われるようなことをした憶えはないのだけれどと思いつつ、あれ以上に嫌われる要因となることがあるだろうかとも思う。やっちゃったなぁ……。頭の中でハレルヤが「ばっかじゃねぇの」と面白おかしいというように哂う声がする。
溜息とともに立ち上がったところで「おいアレルヤ、」ロックオンに呼び止められ、アレルヤは彼を見つめ返す。
「おまえが見るべきなのはあいつの顔じゃなくて、おまえ自身のことだと俺は思うよ」
「どうして?」
ロックオンは手のかかる兄弟を相手にするように、口の端を吊り上げて笑みを浮かべた。
「刹那の隣にいるマイスターは
世話焼きな俺か、
一歩距離を開けてる“お前”だってこと、気づいてないだろ」
きょとんとして瞬くアレルヤの胸めがけて、ドンカン!ドンカン!と声を上げる黄色い物体が飛び込んできた。ぶつかる直前にハロを受け止めたアレルヤは、茫然と呟く。
「…………なるほど、ね」