僕はあなたに会う為に生まれてきたのかもしれません。そう微笑んで己と視線を合わせるために膝をついた男にルルーシュは抱きついた。僕もお前に会えて嬉しい。その言葉は彼にとって偽りない本心からの言葉であり、彼へ対する想いの全てとも言えた。
男は自分の腰ほどの身長しかない幼き皇子を、大切に、大切に抱きしめた。僕はあなたのことが大好きです。愛していますよ。耳元で囁かれる声は愛情に溢れ、母と妹から寄せられるものとはまた違ったいた。心臓のあたりがむずむずと疼くような喜びがルルーシュの胸中にじんわりと広がる。
大好きだ。自分に、彼に。言い聞かせるように繰り返した。彼の首に回した腕に力を込めて、苦しいんですけどと困ったように言われても放さなかった。
お前は僕のものだ。僕のものなんだ。
賢いルルーシュは彼が己に膝をついた行動が何を意味するのか知っていた。彼は自分に会う為に生まれてきたと言った。そのあとに膝をついた。例えそれが、身長差を埋めるために彼がいつもしていたことだしても今日のこの行為だけは、いつもと全く違う性質を持っていたことを知っていた。
そしてルルーシュは、それに応えた。例えそれがいつもと同じくしてもたらされた言葉だとしても。決定的な行いはなされていなくとも。
ルルーシュは、彼が騎士であることを認めてしまった。
片膝をついた男は顔を上げようとせず、誰も彼に声をかけなかった。かけられなかった。彼らを囲うようにして居並ぶ者は一様に困惑の表情を浮かべている。男と、彼らのリーダーである男
ゼロとを、交互に見つめて。
物言わぬゼロと、そのゼロの言葉を待つかのように黙する男。「えーと……」いったい二人の関係は?と誰かに問うわけでもなく首を傾げ、副リーダーである扇はこの場をどうにかしようと、とりあえず少しでも現状の理解に努めようと、この状況に至る過程を振り返った。
黒の騎士団本拠地となっているトレーラは騎士団の中でもトップレベルの機密事項である。その存在を知っているのは幹部連のメンバー……ゼロがこの世にその姿を現した時から活動を共にする元レジスタンスの人間、四聖剣。そしてここには不在であるがキョウト六家の者幾人かといった
と、それに近しいごく僅かな者のみとも言える。同じ組織に在する者であっても迂闊に口外することの許されないものだ。今やこのエリア最大勢力といえど反ブリタニア組織である以上、身を隠さなければならない地下組織集団であることには変わりはない。本拠地の場所を知られてはならないのだからその存在の秘匿性は当然。
そのトレーラーの前に、ひょっこり現れた男。正確に言うのならトレーラーの前にではなく、周囲を警戒していた騎士団の人間の前に、彼は現れた。それとなく本拠地から遠ざけようとした彼らに、男はにーっこり笑顔で言ったという。
「ゼロに呼ばれたんですけどぉ、連れてってくれます?」
本部の場所は超極秘事項である。それを知っている者は限られている。にもかかわらず、この近辺にゼロがいると確信を持って言うということは、この男の言う通り彼はゼロの知り合いではないか…ということで、その場の者は本部へと連絡を取った。ゼロに呼ばれたというそれが事実であるかの確認のために。
その電話を取ったのは普段は仕事を放棄しがちな玉城であり、彼は大声でゼロを呼びつけた。カレンが何かを言いたげな表情で彼を睨みつけたが玉城はそれに気づかず、自室から降りてきたゼロが何の用だと問えば玉城は答える。お前の知り合いって男が来てるらしいんだけど、と。それに首を傾げたのはゼロだった。「C.C.ではなく?」「私ならここにいるだろう」「なんだ?君には心当たりがないのか?」問うた扇にゼロは「無いな」しっかりと頷いた。室内に緊張が走る。では、ここを何者かに知られた……!?
表情を険しくさせ「おい、そこにいるやつを捕ま、」電話口に怒鳴った玉城からゼロは通信機を取り上げた。
「その者の名を訪ねてくれ」
了承の声と、数秒の間。
メンバーより返されたその名前に、ゼロが身を強張らせたように、扇には見えた。
「知っている人間か?」
「さぁ、どうだろうな」
「なんだよそれ!?」
「そう怒鳴らないで玉城。ゼロ、どうするんですか?」
不安げにゼロへ一歩近寄るカレンに、そうだな、とゼロは頷く。
「とりあえずは此処へ来てもらおう。敵か味方かは、会って判断する」
ここに連れてくるようにと言ったゼロの声はいつもと変わらない。警戒しているようではなく、しかし何かが違うと勘が告げる。
「本当に、知らない人間なのか?」
「いや」
今度ははっきりとした否定でもって返された。
「知っていたかもしれない人間だ………C.C.、話がある。部屋へ」
やはり何かが違うと怪訝な表情を浮かべる扇らに背を向ける。それ以上の詮索は許さない無言の態度。ソファに寝転んで雑誌を手にしていたC.C.も厭味のひとつも言わずに立ち上がる。自室へと戻った二人の姿を見送り、扇たちは顔を合わせた。
ゼロらしくない、曖昧な返答。ここへとやってくる男はいったい、ゼロにとってどんな意味を持つ人間なのか?
考えたところで思いつく答えなどひとつもない。C.C.のように自ら基地へと連れてきたわけでもなく、かといって此処へ呼んだ覚えがあるわけでもなく。しかしまったく知らない人間ではないとのこと。果たして敵か、味方か。
連絡が寄こされた場所から基地までは、わざと遠回りしてくるために15分ほどはかかる。それまで分からないことを考えていても仕方がない。ゼロが場を辞した後に彼らが出来るのは、万が一の逃走経路の確保と、各々の武器の確認であった。ここへやって来るその男が敵であれば、単身であるとは考えにくい。背後には何かしら組織が控えているはず。それがブリタニア軍であれば言わずもがな。ここが潰されれば実質黒の騎士団は崩壊する。導くものの存在あっての黒の騎士団なのだから。だから彼らは守らねばならない。敵に背を見せることになっても。
カレンは紅蓮弐式へとその足を向ける。藤堂は抱えた刀を持って立ち上がり、玉城と扇らは銃を手に取った。
例え、己らが身を呈してでも
ゼロだけは、残さねばならない。
訪問者の到着を知らせる連絡が入る。各々の覚悟と共に彼らはトレーラーを降りていく。見据える先には騎士団メンバーの者数人と、連れられてきた長身の男
アイスブルーの瞳を宿した、ブリタニア人の。
紅蓮弐式がトレーラー前に立塞がる。入口から出てきたゼロは男を見、数メートルの距離を空けて立ち止まった。
男が膝をついたのは、その直後のこと。誰もが目を見開き、耳を疑った。
「あなたに仕える為に参じました。ゼロ。我が主よ」
他ならぬゼロが息を呑んだ気配がその場に伝わった。動揺したのは騎士団も同じこと。男の声は尋常ならざる何かの気配を彼らに与えた。
向けられる銃口に怯みもせず男はゼロを見つめる。その瞳には溢れんばかりの喜悦と恍惚とした情が浮かんでいる。敵とは見えないその様子に扇はトリガーに絡める指先の力を抜いた。
「入団希望者か?」
「まっさかぁ!そんなことのためにわざわざ此処を探したりはしないよぉ」
「じゃあ何をしに来たんだ」
「言ったでしょう。ゼロに仕える為に、と」
扇が訊ねているにもかかわらず男の視線はゼロにしか向けられていない。お手上げとでも言いたくなる状況に扇はゼロに助けを求めた。何も言わずにいるあたりやはりいつもの彼とは違う。痺れを切らしたらしい玉城が「おいゼロ!」と彼を呼んだ。
先に口を開いたのはゼロではなく、ブリタニア人のほうで。
「どうか御言葉を。我が君」
片膝をつき
頭を垂れたその姿は、先日執り行われた騎士拝命の儀式を彼らに思い出させた。
「おまえは最初から、私の騎士ではなかった」
男へ向けていた視線を、再びゼロへ。ゼロが初めて発した言葉は予想外といえば予想外で、扇らはぱちくりと目を瞬く。男にとってもそれは思わぬ言葉だったようで、その顔には笑みではなく不思議そうな表情が浮かび上がる。
「まさか記憶喪失になってるとか、そんな馬鹿なこと言わないでくださいよ?」
「記憶は失っていない。だが私はおまえと主従の契約を結んだ記憶など、あいにく持ち合わせていない。おまえの主は此処にはいない」
「此処にいない?何言ってるんですか。目の前にいらっしゃるっていうのに。契約を結んだ覚えがない?変なことを言わないだくださいよ。僕はあなたの為に生まれてきたと言ったじゃありませんか。そしてあなたは応えてくれた。なんなら日付も言いましょうか」
「ロイド」
今、彼が呼んだ名と思わしきものは、この場にいる誰にも当てはまらない異国の名。おのずとその名の持ち主は限定され、メンバーの視線はゼロから男へと。
ロイドと呼ばれた男は、その声にうっとりと微笑んだ。
「ずっとずっと、お会いしたかった。最後に会えたのはいつのことでしょうね?あなたは言った。いつかまた会える、と。まさかこれほど先のこととは思ってもみませんでしたよ」
「……確かに言った。だが同時に私は、お前との関係は断ち切った」
「それっていつですかぁ?僕はあの日から変わらずアナタの騎士ですよ。ただあなたは私の前から消えて、名前を呼ばれることはなくなっちゃいましたけど。でも、あなたが僕の主であるという事実が失われたことは、過去一度とてありません」
そうでしょう?首を軽く傾げてロイドはゼロを見つめている。扇たちは言葉を失った。わざわざ確認せずとも分かる。今そこで膝をついている男はかつて、黒の騎士団のリーダーであるゼロの騎士であったという。そして、そのような関係は最初から存在しなかったと、絶ったとゼロがいうその関係は、男の中では失われず、いまだ生きている。
ゼロ、と紅蓮弐式から声が降ってくる。パイロットであるカレンの当惑した表情が扇には目に浮かぶようであった。彼女は己がゼロの親衛隊隊長であることを誇りにしている。そして今、彼女と同じ者を慕い、その者の騎士であると名乗る人間が現れた。
カレンの声にロイドは紅蓮弐式を仰いだ。
「これがいつもあなたをお守りしている子かぁ。親はラクシャータ?」
「なぜ、」
「彼女は一時期、僕と同じ部署で働いていたので」
ウマが合わなくて彼女はさっさと辞めてしまいましたがねぇ。気楽に落とされた言葉は、現状についていけず凪いだ場の緊張感を取り戻すには十分な効力を発揮した。ラクシャータが過去、ブリタニアに従軍していたことはそれとなく耳にしている。つまり、同じ部署であったというこの男も軍の関係者であるわけで。
「あ、でも、僕は従軍したりしてませんから。ただの研究者ですからご安心を。あなたがブリタニアを嫌っていたのは分かり切ったことでしたからねぇ。軍人になったらそれこそ捨てられるかと思って」
僕偉いでしょう?無邪気に笑いゼロへと幼子のように無防備な笑みを向ける。
かつりと、響いた靴底の音はゼロのもので。彼はロイドのもとへと近づいた。一歩、二歩…三歩。
「ロイド・アスプルンド」
「はい」
「私はおまえを知っていた。そしておまえに応えようとした。だが、それは過去のことだ。おまえが知っている、求めている者は、もはや私ではない。私は変わった。おまえの主は死んだ」
「いいえ。いいえ我が君」
朗々としたゼロの声を上回る確固とした音色でロイドは否定した。
「何も変わってなんかいないんですよ。だって、あなたは今、僕の目の前に立っている。そして僕はこうして膝をついていて、あなたの声が聞こえる場所にいる。それとも、『あなたの為に生まれてきた』。この想いが嘘だったとでもおっしゃるんですか?」
ロイドは微小たりと視線を動かさなかった。仮面に隠された素顔を彼は知っている。母譲りの容貌も彼が厭うた血筋を表す瞳の色も、忘れることなく覚えている。仮面越しに見つめられるその視線から逸らすなど、ありえなかった。
「騎士拝命の儀式が必要ですか?形にしなければ僕はあなたの騎士ではありませんでしたか?それならあの時あなたは僕に応えてなんかくれなかったはずです。あなたは言った、僕はあなたのものだと。他ならぬあなたが言った、その言葉。それが僕に命を与えた。そう、だから、何も変わっちゃいない。命ある限り僕はあなたの騎士なんですよ」
変わらず薄く笑みを刻み、ロイドは主へと言葉を捧げた。
「何も変わっちゃいないんです。あなたは僕の主で、僕はあなたの騎士だ あなたは生きていたのだから」
それが全てでしょうと臆面なく言いきった男に皆が注視した。ここにいるほぼ全員が日本人であり彼らはブリタニアの騎士制度について多くは知らない。つい最近副総督の皇女の騎士となったのが名誉ブリタニア人つまりもとは日本人であるということで話題を呼び、報道された内容から得た僅かな知識があるだけだ。だから彼らは固唾をのんで二人を見守るしかできなかった。これほどのものだとは思わなかったのだ。主君のために生きるという、その騎士というものが、どのような存在であるかなど。
ロイドが敵か味方かなど既に考えるまでもない。彼の言葉と眼にはそれだけの力があった。ゼロ以外に興味はない。彼が見つめる先にいるのはゼロただ一人。
彼が求めるのは、己の主の言葉だった。
「………ロイド・アスプルンド」
「はい」
「おまえは、私のものだ」
甲を上向け右手が差し出され、ロイドはゼロの手を取って口づけた。
再び主をその手に得た騎士は、この上なく嬉しげに笑う。
「Yes.your highness」