考えようとするから分からない。答えはとてもシンプルなものだった。


自分は何者か。
それを知ってさえいれば、求めるものが何処にあるのか、分かるような気がしていた。






   
言い聞かせた言葉は、
今となっては無駄な耳鳴り






何のために人は生きているのだろう?考えたところで答えの見つからない問いを幾度となく繰り返し、無駄なことだと諦めて、それでも悪戯に思考は回転する。何のために生きるのか分からない以上、人は死ぬためにしか生きる意味を持たないようで、目前の現実が胸に重く圧し掛かってくる。
組み木が灰になり遺体が土くれと化しても、あたりには人の血と肉とが焼ける臭いが強く残っていた。戦場で嗅ぎなれた臭いであるのに、燃えたものが自分の知り合いというだけで抱く感慨も変わるのだから人間とは不思議なものだ。少なくとも戦場では、こんな息苦しさは味わったりしない。
入院していた同僚が自殺したと聞いたときには既に火葬の準備がなされた後で、元述は友人の死に顔を見ていない。噂に聞くところ、ひどい死に様だったらしい。もとから精神的に不安定だった為に彼の周囲には刃物のような危険物を置いていなかったらしいが、医師が眼を離した隙に彼は病練の最上階へ昇り窓から飛び降りた。けれど即死ではなかった。医師が駆けつけたとき彼は瀕死の状態でありながらひたすら謝罪の声をあげていたという。薄れゆく意識の中で彼が誰を見ていたのか元述には分からないが、きっと彼が最後に殺した兵士がその中にいたであろうことを、なんとなく予想している。
国のためにと戦って、殺して、そして最期はその重みに耐え切れず自らを殺してしまった。これで彼は幸せだったといえるか?もちろん、こんな状況で幸せの有無を問うのは馬鹿みたいなことだし、幸せであったならそれでいいわけでもない。だけど、こんな人生しか人間には与えられていないというのなら、どうして自分たちは生まれてきてしまったのか、疑問を持ってしまっても仕方の無いことだろう。
「……難儀だな」
生きていることと死ぬこと。この二つは人間がどう考えたって意味のない問いだ。考えたって答えの無い疑問は何時でも何処にでも転がっている。それを気にし続けるのは愚の骨頂だろう。だってそういうものは、そうあるからそういうものなのだと、誰だって意識しないところで知っているものなのだから。
そして軍人である元述には、自分がどう生きるかを考える必要も無い。戦う理由は国が与えてくれる。
だから面倒だ。


「いつまで其処にいるんだ?」
ざくざくと草を踏んで、ひとりの男が近づいてきた。着ているものは何故か焦げ跡があったりしてボロボロだが、歩き方に武人としての癖がある、体躯の良い男だ。
どこかで見た顔だった。
「あなたは?」
「あれ、教えてなかったか?て、あぁ、うん。教える余裕無かったよなそりゃ。英實っつーんだ。英實」
改めてよろしく、と男は笑う。つられて元述も軽く頷いたが、この男の活気の良さに、少々毒気を抜かれた気分だった。
「どこかで会いましたよね」
「覚えてないのかよ……まあ、おまえ周りに興味なさそうだしな」
しょーがないというように英實は肩を竦めてみせて、俺はおまえにかなり興味があったんだけどなと言う。他人に興味を惹かれるようなことをした覚えなどない元述はただ首を傾げるばかりだ。
「前の戦で、俺、おまえと同じ隊にいたんだよ。で、さらに言うなら、文秀将軍が来たとき、すぐ近くにもいた」
元述に言い聞かせるように言う英實の言葉を聞いて、なんとなく彼のことを思い出すことができた。自分の近くにいたのは彼以外にもいたが、文秀将軍が来たときとなると、
   俺に、声をかけた?」
「そう、そのとき! 覚えてたか」
英實は笑う。よく笑う男だと思った。更に言うなら、体の大きさに比例してか、声もでかい。
「それで、いつまでこんなトコにいるつもりだ?元述」
まるで最初から見ていたような口ぶりに、そっちこそ、と返しそうになって、口から出たのは「莫迦なことを考えていた」という、言った本人が思わずびっくりしてしまうようなものだった。知り合ったばかりの相手に自分の胸の内を一部でも教えてしまうような言葉に驚いたわけではなくて、そんな思ってもいなかったことが口から飛び出したことに対して驚愕した。
「莫迦なこと?」
元述の動揺を察したのか、英實は笑いを引っ込めて真摯な眼で問いてきた。暗に内容を話せと言っているが、元述にも自分が考えていたことを説明しようがない。そもそも火が燃えている間はほとんど何も考えていなかったようなもので、思考を巡らしたのはほんの数瞬のことで   

     自分がどう生きるか、考える必要も無い。

なんてことないように考えていたはずのことが、突然、やけに生々しく重みをもって思い出された。
どっと汗が噴き出してきて、鼻の下の汗を手で拭う。元述を見ていた英實は視線を灰の片付けをする者達に移して、「話してみるか?莫迦なことだと思っても口にしちまえば、意外と自分が素通りした答えにぶち当たるもんだぜ」
知り合って間もない間柄であるということを全く気にしないでいられる気安さと親しみやすい雰囲気が、英實にはあった。
躊躇ったのは一瞬で、元述は素直に頷いた。


+ + + + + +


「だから、真剣に悩んで話すほどのことでは無かったんだ。ただ、今までなんとも思わなかったことが急に気になりだしたような、どこかに納得しきれていないものがありそうな、そんな気がして」
「……最初から最後までかなり曖昧な言い方だな。俺はおまえのこと、もっと強気な男だと思ってたんだけど、なーんか、今までのおまえの話し方を聞く限り、ただの優男というか、なんというか………」
おまえ仮にも花朗に所属する剣士じゃないかと、イメージがちょっと壊れたという英實にむっとして、そんなのあなたが勝手に作り上げたものだろうと言い返すと、そりゃそうだけどと彼は苦笑した。
「で、要約すると、元述は、自分がどう生きたらいいのかが分からないと、そういうことか?」
   そうなのか?」
「駄目だこりゃ!!」
ごろりと仰向けに転がって、降参のポーズ。元述としては自分が必死に述べたことを無下に放棄されたようで、なんとなく面白くない。もちろん自分の話が要領を得なかったことも、それを英實が辛抱強く聞いてくれたことも承知しているが、自分だってそれなりに頑張って考えながら話したのだ。今さら「駄目だこりゃ!!」と言われても、そう納得できない。
「話してみろと言ったのは英實だろう。なら責任を持って一緒に考えてくれたっていいじゃないか」
「おいおい、なんかいきなり図々しくなったな。そう怒るなよな」
「こう中途半端な状態では、イラついてもしょうがないだろう」
「中途半端ってのには、気づいてんだな?」
よっこらせ、と掛け声と共に上半身を起して、隣りに座れというように指を指す。大人しく従って英實と顔を合わせた。
「おまえの長ったらしいお話を順を追って整理すると、3つか?まず友人が怪我を負ったのを見て、軍人として国を守るということに躊躇いを感じた。次に、その友人が死んだのを知って、人生ってのに意味があんのか分かんねえもんだと思い。そして、自分は軍人だから自分の生き方と意味も考える必要が無い、とおまえは思った。ここまでは理解してるよな?」
「馬鹿にしてないか」
「してない、してない。こういうときは一からじっくり思い返していくんだよ   で、おまえが矛盾を抱くべきなのは3つ目じゃないかと、俺は思うんだけどね」
手元の雑草をぶちぶちと千切り、困ったように言葉を止める。
「俺には、おまえが自分の生き方を自分で考える必要がないって言うのは、軍人だからっていう単純明快な答えのせいじゃなくて、」
言いづらそうにちらりとこちらを見やり、その視線に続きを言えと元述は無言で求める。英實はぱたぱたと泥で汚れた手を払って空を仰いだ。
「軍人として生きることが怖いから、逆に軍人として生きるための口実を求めているような、そんな気がするんだが」
元述は重い息を吐き出した。
「そういうことに、なるのだろうか……」
「いや、偉そうに言ったけどさ、実際のところは俺にもよく分からないね。あんたが感じてることはあんただけのものだ。それによくある結果として、自分が気付いてないだけで答えは自分の中にある、みたいな。俺はそれを期待するね」
白い歯を見せて英實は笑い、その笑みにつられるようにして元述も微笑した。結局のところ英實も元述に答えとなるものを与えてくれる気配はないが、それに落胆することはなかった。出会い頭に言われた通り話を聞いてもらえただけでも胸の内が幾分、穏やかになっている。
「感謝する、英實」 ふと、思い出される姿があった。話を最初から聞いてくれた英實とは異なり、元述の言葉をただ黙って受け止めていた男は、あの時なにを思ったのだろうか。
それが今、無性に、気になって仕方が無かった。





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